1972年9月29日 日中国交正常化
1972年9月29日、45年前の今日、北京で田中角栄首相と周恩来首相らで日中共同声明が発せられ日本と中国は国交を回復しました。
当時私は高校2年生でした。この年は5月に沖縄返還があり日本にとって戦後の画期となる出来事が続いた年でした。
中国との国交正常化の報道の熱狂ぶりは覚えています。書店に中国関係の本が積まれ、新聞テレビ報道も中国一色だった記憶があります。
あの時から45年、日本と中国との関係は全く様相が異なっています。9月29日が日中共同宣言の記念の日だということ報道も目にしません。
日本と中国が互いの国をどのように見ているか毎年調査をしている言論NPOという団体の2016年の調査はひどいです。
日本人の90パーセント以上、中国人の80パーセント近くが互いの国をよく見てはいないのです。日本の方は悪化の傾向にあります。
(岡崎嘉平太記念館HPより)
日中国交正常化の基礎を築いた元全日空社長の岡崎嘉平太さんが「前事不忘 後事之師」という言葉を残しています。
岡崎さんは民間人の立場で日中友好に尽力し周恩来首相との深い友情を築きました。二人のきずなが正常化につながる一つの原動力となりました。
その岡崎さんの言葉だけに重みがあります。要は、日本が中国大陸を侵略した過去を忘れてはならない。それから始まるということです。
周恩来首相は岡崎さんに、日本の侵略に対して深い恨みを持っているとしたうえで「忘れる努力をしている。」と述べました。
岡崎さんは「忘れる努力をしている中国に対し忘れない努力をしなければならない。恨みを忘れてもらえるよう努力しなければなりません。」と語っています。
日中国交正常化の立役者だった二人は現在の日本と中国の関係をどう見ているのでしょうか。さぞかし行く末を案じているのではないでしょうか。
中国大陸への侵略はなかったとの言説も日本国内ではあります。一方中国国内では日本の軍事的侵略をことさらに取り上げる宣伝が行われています。
これでは岡崎嘉平太さんも周恩来首相もため息が出てしまいます。このままの状況が推移する事は由々しき事態を招きかねません。
更に情勢は大きく変化しています。最大の変化は中国経済の躍進です。物量的には日本のGDPの3倍に近づき圧倒的な差が出ています。
中国はこの経済の発展をてこにして海と陸の二つのシルクロード構想、「一帯一路」構想を打ち上げて壮大な経済圏を築き上げようとしています。
名実ともに大国になった中国に対し日本では冷静に向き合うのではなく中国脅威論が飛び交い日中関係は改善の兆しが見えません。
日中国交正常化45周年の年の衆議院の総選挙です。本来なら本格的な論戦が交わされるべきですが、そうした動きは全くありません。
アメリカとの同盟関係一辺倒で日本の針路は縛られてしまっていて根本から日本の針路を考える機会が奪われているのが原因です。
アメリカ一辺倒の呪縛を解いて中国との関係を含めて日本の針路を考えることこそが日本をリセットすることに他ならないと思えてなりません。