第6回全国禹王サミットin富士川1~進化を続ける禹王サミット~

山梨県富士川町で第6回全国禹王サミットが開催されました。7日、8日と2日間参加しました。今後の変化を予感させるサミットでした。

2010年11月に神奈川県開成町で最初のサミットが開かれました。全国各地の中国の治水神・禹王とゆかる地域の郷土史研究者が集まりました。

日本では治水神・禹王は無名です。中国では中国最初の王朝「夏」の創始者で黄河を治めた人物として大変な尊敬を集めています。

足柄地域の足元の災害の歴史を調べていた「足柄の歴史再発見クラブ」が神奈川県西部を流れる治水の難所に禹王遺跡があることを再発見しました。

2006年のことです。専門家は知っていた事実ですが一般にはほとんど伝わっていませんでした。素人の研究だからこそ光が当たりました。

第1回禹王サミットの資料では、全国10河川で18か所と記載されてます。今回の資料では、遺跡の総数は、132か所となっています。

この数字を見ただけでも禹王に関心を持つ全国の郷土史研究者たちが熱心に探索し続けていることがうかがわれ感慨深いです。

日本でも中国の治水神・禹王が祀られているという新鮮な驚きから研究は始まりました。現在ではなぜ禹王を学ぶかを問う時期に入りました。

禹王の遺跡がある、禹王の文字が刻まれている、禹王の地名があるという現象面を超えてその背景に迫らないと研究は深まりません。

富士川町での禹王サミットは、新たな方向性を示していました。治水との関連で禹王をとらえるという視点が明確でした。

富士川町は一級河川富士川のほとりに位置する人口15000人余りの中山間地の町です。サミットは近隣市町と共催でした。

「富士川改修促進期成同盟」という流域自治体が名を連ねていました。治水を前面に押し出し流域で開催するのは初めてでした。

国土交通省が関わっていました。基調講演者は元国土交通省の幹部でシンポジウムのパネリストには国土交通省甲府国道河川事務所長が参加してました。

行政主導の色彩が強く動員もあり初日の講演やシンポジウムには300数十人の参加者があり盛況でした。これまでとは様相が異なります。

基調講演で国土交通省の元幹部が禹王の治水の柔軟性を高く評価していたのが印象に残りました。集中豪雨の頻発で治水のあり方も変化します。

中国浙江省紹興市などから訪問団8人が参加しました。紹興市は禹王の終焉の地といわれる都市で禹王に関する遺跡の宝庫です。

中国の水利学会水利史研究会副会長の邸志栄氏による禹王の治水と紹興における遺跡についての研究発表がありました。

研究の質を高めるためには禹王研究の本場中国との交流は欠かせません。中国の専門研究者による発表は端緒だと思いました。

禹王を研究する上でもう一つ欠かせない要素があります。それは日本と中国との文化の違いと共通性をよく知ることです。

日本と中国とでは禹王文化の継承の仕方に違いがあります。この分野も併せて研究を進めサミットが両国の友好を進める場となることを期待します。