第6回全国禹王サミット2~なぜ治水神・禹王にこだわり続けるのか~
山梨県富士川町で開催された第6回禹王サミットの2日目、私も登壇の機会がありました。なぜ今治水神・禹王かを話しました。
私が中国の治水の神様の禹王にこだわり続けているのか不思議に思っていられる方も大勢いれれると思います。
私と治水神・禹王との出会いは今から11年前神奈川県開成町長だった時です。それまでは全く無知でした。
「足柄の歴史再発見クラブ」の皆さんより幼いころよりなじみのある福沢神社の祭神が治水神・禹王だと聞きました。
禹王の本名は文命です。ぎょっとしました。私の出身中学校の名前だからです。周囲を流れる農業用水は文命用水です。
よく伺うと1707年の富士山噴火後の洪水の治水工事のあと8代将軍・徳川吉宗が資金を出して建立したということでした。
中学校を出て35年たってようやく知った事実でした。このような衝撃的な史実を知らずに生きてきた不明を恥じました。
同時に神様には大変失礼ですが禹王を活用して日本と中国の友好を進める素材にできないかとも考えるようになりました。
10年前の日本と中国は現在ほど悪くはありませんでしたが小泉総理大臣の靖国神社参拝などで決して良好ではありませんでした。
何か実践をしたいと考えました。日中国交正常化後、中国からの最初の留学生の法政大学の王敏教授と知り合いました。
王敏教授を通じて日本にも禹王遺跡が存在することを中国に向けて積極的に発信するようになりました。
同時進行で足柄の歴史再発見クラブの会長の大脇良夫さんらが全国の禹王遺跡の存在をどんどん発掘しだしました。
2010年11月に最初の全国禹王サミットにつながったわけです。町長時代の成果の一つだとひそかに自負しています。
10年が過ぎて日本と中国の関係は尖閣諸島の問題で極度に悪化しました。現在も改善の勢いはありません。
この間、中国は経済発展が目覚ましく物量的にはもはや日本のはるか先を走っています。文字通りの強国となりました。
日本人は古い中国イメージがあり遅れた国として見下す傾向があります。一方、中国はかつての中華帝国の復活に自信を深めています。
このままの状態が続けば巨大な隣国との溝は深まる一方です。この溝を埋めるテーマとして禹王は格好の題材です。
日本と中国の禹王に対する祭礼の仕方は顕著に異なります。8月に中国で禹王まつりに参加してさらにその感を強くしました。
禹王の故郷とされる河南省登封市の大禹村では禹王をいわば地域の氏神様として年に一度熱狂的に祝います。
日本においても福沢神社では291年間祭礼が続いています。子供相撲を奉納して独自性があります。
禹王遺跡は日本と中国、双方の強力な地域文化資源なのです。双方の遺跡や伝承の仕方を比較すれば違いと共通性が分かります。
中国伝来の文化であっても違いがあることを知ることは文化には多様性があることを再認識することにほかなりません。
地域の文化を観ることが観光です。文化を通じた国際観光を振興することで日本と中国双方の理解は確実に深まります。