総選挙10~”維新”の旗は色あせたのか~

ネットのニュースに橋下徹さんが日本維新の会の法律顧問を辞したと流れてました。時代の移り変わりを感じました。

2009年橋下さんが輝きを放ち始めたころに首長連合の一人として橋下さんの言動をまじかで見ていました。

ドライではきはきとしていて勇ましかったです。大阪府知事から大阪市長に打って出てダブル選挙に圧勝しました。

全ては大阪都構想の実現のための行動でした。2015年5月住民投票にまで持ち込みましたが僅差で敗れました。

橋下さんに対し賛否両論あります。それは政治家の宿命です。私は言ったことを実行するという点ではただならぬ人物だと思います。

橋下さんが大阪維新の会、後に日本維新の会を立ち上げて国政を動かそうとしたところから波乱の種がまかれました。

二足のわらじは容易ではありません。。橋下さんというカリスマ的存在があって初めて国政、地域両にらみが効きます。

大阪都構想の住民投票に敗れ、責任をとって政治家を辞した時から今日の維新の会の退潮は想像できました。

今回14議席が11議席となりました。かろうじて二けたを確保した感があります。小選挙区は3議席にとどまりました。

代表の松井一郎大阪府知事の演説から伝わるメッセージは身を切る改革の一点突破です。発展性に欠けるきらいは否めません。

国民に痛みを強いる改革を断行しようとするとき異、発案した政治家側がまず身を切って手本を示すことは大切です。

しかし、それだけで終始してしまっては響きません。何のためにそこまでするのかという目的がはっきりしなくてはなりません。

橋下さんがいなくなってからの維新の会は何をするのかの発信力が弱体化しました。身を切るのが目的化してしまっては陳腐です。

私は、維新という言葉の持つ意味をもう一度考え直す必要があると思います。軽く考え過ぎて、風がやんでしまったと思います。

明治維新は、地方の雄藩が結束して天皇を担ぎ江戸幕府を倒した一種のクーデターだと言えると思います。

西郷隆盛と勝海舟という二人の偉人がいたために内乱状態にまでは至らず、権力の移行を実現させた壮大なドラマでした。

橋下さんが維新という言葉を政党名に冠した思いは明治維新に倣って地方から国の在り方を変えるという熱情だったと思います。

まず大阪都構想を実現し中央集権体制の一翼を崩し、その後日本全体の改革へと踏み込んでみせるとの野望があったはずです。

維新と名付けたからにはそのくらいの大風呂敷がなければ話になりません。大言壮語があって維新は成り立ちます。

維新の目的がまるで身を切る改革という次元にしぼんでしまっては有権者の心をつかむことはとてもできません。

日本を取り巻く時代状況は、内憂外患。幕末であるかのようです。維新の会の不振とは逆に、今まさに維新が求められています。

私は根っこから維新運動をもう一度起こす必要があると思います。日本は根本からの世直しが不可欠だと思うからです。

中央集権の打破だけでなくもっと大きな視点から日本の針路を打ち出して本当の維新を実現しなければ日本は沈むと思えてなりません。