文化の日に本当の日本文化の伝統を考える。

11月3日は文化の日です。日本国憲法が公布された日でもあります。自由と平和を愛し文化を進める日と法律で書かれています。

わかったようでわからない話しです。もともとは明治天皇の誕生日で慶祝するための明治節だと聞くとそもそものいわれがわかります。

戦争に敗れ新憲法が制定されて戦前の様々な国家としての風習が改めることになった事例の一つだということになります。

日本はこうした根本的な転換の意味をきちんと国民の間で議論することなくあいまいなまま流れに沿って決めて行ってしまう欠点があります。

アメリカ軍を中心とする国連軍に占領され怒とうの戦後改革が進められ戦前の遺物と思われるものは一緒くたにされて捨てられました。

日本とは何かなどと考える余裕は持てなかったのだと思います。時代の大変革期でしたので已む得ない事情は理解します。

現在安倍政権は、戦争に敗れて以降の戦後政治の見直しをしその総決算として憲法改正を果たそうとしています。

このタイミングでかつての明治天皇の誕生日で現在の文化の日の持つ意味を改めて考え直すことは意義あることではないでしょうか。

明治という時代は西欧列強に伍するために西欧を学び天皇を中心とする中央集権体制の国家を創り上げようとした時代です。

 

戦後はヨーロッパからアメリカへと学ぶ中心が明確に移行しました。文化を含めてすべてがアメリカを中心とする流れに放り込まれました。

そして現代があります。安倍政権の憲法改正への渇望はアメリカによって仕切られた現在の憲法を改めたいというものです。

しかし一方でアメリカ追随は全く変わらないどころかより強まっている矛盾があります。戦前回帰ならば自立国家を目指すべきだからです。

矛盾を解くカギは自由の国のシンボルとしてのアメリカではなく軍事大国のアメリカの路線に従っているのです。

戦前に回帰する国家体制の下で軍事力による支配の国アメリカと完ぺきに共同歩調をとるという路線です。

しかし、現代問われているのは力の支配による政治の矛盾でありそこからいかに脱却するかではないでしょうか。

そのためには、学ぶべきは、力の政治ではないもう一つの自由と民主主義を貴ぶアメリカです。その上で日本文化とは何かを考えるべきです。

日本文化の特色は雑種性です。縄文以来の伝統に諸外国から多様な文化を巧みに取り入れて自らのものとしてきました。共存しています。

自由と民主主義を尊重したうえで日本文化の雑種性、多様性を組み合わせて日本文化の特異性をもっと発信する必要があります。

そのために文化の日があるのだと思います。その視点からはアイヌや沖縄の文化は重要です。日本の中の中国、朝鮮文化の捉え直しも不可欠です。

多様性が織りなす日本文化のすばらしさを日本としていかに発信していくかにもっと力を傾注する必要があると思えてなりません。

力の政治の文化政策はこうした多様性を無視し無理やり日本という名のもとに一色に塗ってしまおうという傾向があります。

日本が本来持っている最も大切な文化の根源、多様性を壊す行為だと思います。伝統を守ると言いながら最も大切な伝統を破壊してはなりません。