強者が譲ってこそ熟議。

自民党が総選挙で大勝した後、政府・自民党内からっせいに「謙虚」という言葉が流布しました。しかしその言葉が今や空しく響きます。

国会で野党の質問時間を削って自分たちの質問時間を増やすのが本来の民主主義からして妥当だと理屈をこじつけてきました。

2009年の夏の衆議院選挙で自民党は大敗し当時の民主党に政権の座を渡しました。野党に転落した自民党が求めたのは質問時間の確保でした。

民主党は自民党の求めに応じ野党の質問時間の拡大を認めて現行のおおよそ8対2にし、現在まで慣例として続いていると報じられてます。

自民党が主張するように議席配分に比例して時間を配分するみたいな話になれば持ち時間は逆転します。これまでの謙譲の美徳は吹き飛びます。

謙虚を口にしていた自民党はあっという間に謙虚さをかなぐり捨てて民主主義は数だと言わんばかりの姿勢に変身するのでしょうか。

自分たちの都合の良いように解釈を変えて強行突破する姿勢のことを難しい言葉ですが「牽強付会(けんきょうふかい)」と言います。

眉をひそめてしまいます。もっと王道を歩んで欲しいものです。このままですと安倍総理は野党の質問から逃げているのかといわれます。

歯が浮くようなよいしょの質問ならよいが舌鋒鋭く追及される質問は嫌だという話は通りません。自民党内からなぜもっと反論が出ないのでしょうか。

森友学園、加計学園をめぐる問題追及がそれほど嫌なのかということになり逆に疑惑を深めることになりやしないでしょうか。

自民党総裁選挙でライバルと目されている石破茂さんが自民党議員は法案が提出される前に自民党内の会合で散々質問する機会があると言っています。

全く正論です。こうした正論を堂々と述べてたとえ総理であってもおかしいことはおかしいと議論しあえる政党こそが真に強い政党です。

党内の異論を握りつぶし野党の質問を封じ込めて安倍政権にとって都合の良い議論だけを形式的に表にして民主主義だというのはあんまりです。

自民党内からは中国に対して嫌悪感がしばしば示されます。しかし、今回、自民党がやろうとしていることは中国の言論統制のようなものです。

中国のやり方をやゆしていながら権力維持の方法は中国に学び言論を封じるのでは、矛盾の極みですし反動の方向と言われます。

野党は自民党の自分勝手を徹底して追求し今回の質問時間の規制には徹底して抵抗すべきです。野党の質問時間拡大したのは野党時代の自民党だからです。

この過去の経緯からして自民党の側に正当な理由は見出せません。こんな無理がまかり通るようでは国会内での熟議は成立しません。

安倍総理を補佐する菅官房長官が自民党内の動きを援護射撃する発言をしました。これも残念な対応です。官邸が主導したのかとの疑念が生じます。

真に大物の官房長官ならば姑息な手を使うことを排し野党の攻撃を真正面から受け止め論破するしかないとはっぱをかけるべきだと思えてなりません。