神奈川県開成町に希望の陽が昇る!

建国記念の日の11日、来年の神奈川県開成町長選挙を目指している山神裕さんを応援する会の発会式がありました。150人以上、会場の町民センターの大会議室の椅子が足らないぐらいの満席でした。

応援団は山神さんと同世代の現役バリバリ世代の皆さんの集まりです。小・中学校を一緒に過ごした同級生の皆さんが中心でそろいの水色のポロシャツを着て会場を駆け回っていました。

山神のYと裕のYをとり「わいわい会」と名前が付けられていました。みんなでわいわいがやがや山神さんを応援していこうという趣旨だと説明がありました。代表は、同級生の女性でした。

山神さんは慶応大学の野球部です。同じ釜の飯を食べた同僚が応援に駆けつけてきました。代表のあいさつは藤澤の新江ノ島水族館を経営する会社の社長さんでした。さすが慶応ボーイです。

山神さんは現在明治大学公共政策大学院でまちづくりを勉強中です。一緒に学ぶ大学院生には山神さんと同じように政治家を目指す方もいます。茨城県古河市から父のあとを次いで政治家を目指す若者が応援に来てました。

山神さんは大学を卒業して最初に就職したのは名門日本長期信用銀行でした。入社の同期生にはテレビで大活躍の林修先生もいたと話していました。山神さんはその後外資系の銀行に移りました。

外資系の銀行は報酬面の待遇は良くても成績が下がればすぐに解雇される厳しい社会です。その修羅場を潜り抜けて大活躍し国際感覚も身に着けたのですから大変な経歴だと思います。

私は山神さんと対談するという形で登場しました。最初になぜ山神さんを支援するのかを話しました。府川裕一町長と同級生で前回の選挙では府川さんを応援したので山神さんより説明して欲しいと頼まれました。

私は町の将来が心配だからだと答えました。今が良いからいいではないかではなく勢いのあるうちに将来を見据えて今なすべき政策を展開してもらえるリーダーの登場を待ち望んでいました。

山神さんという素晴らしい人材を得たのだから応援しない手はないではありませんかと話しました。対談の前の山神さんの政策説明を聞いていましたので確信をもって語ることができました。

山神さんは自ら勉強し自ら納得した政策を自分の言葉でわかりやすく語っていました。自分のまちづくりの思いが明確で町長になるのが目的ではなく、町長になって何をするかをしっかり語ってました。

リーダーになるべき人の絶対条件です。借り物の言葉ではなく自分の言葉で話せなければ職員も町民も関係する国や県の職員も企業の経営者も説得ができません。自分の言葉で語れない人はトップの役目が果たせません。

私は最後に今は亡き山神さんの父親の話をしました。山神さんの父の輝(あきら)さんは町長に就任し2年10か月で現職中に亡くなられました。志半ばにも達していない段階での急死でした。

父上は無念だったと思います。父の夢を今度は山神裕さんが果たし町を発展させてほしいと頼みました。会の最後の締めくくりは慶応大学野球部のOBの皆さんの音頭取りによるエールでした。