日本で禹王(うおう)を学ぶ意義について考える。

神奈川県西部を流れる酒匂川の上流を始め全国各地に遺跡が残る中国の治水神・禹王について学ぶとは何かを考えてみました。禹王について研究を進めている治水神・禹王研究会の研究誌に投稿するためです。

紀元前2070年中国最初の王朝「夏(か)」を創設されたとされ司馬遷の『史記』でも描かれた伝説の皇帝です。儒教を立ち上げた孔子も『論語』の中で「申し分ない。」と高く評価している人物です。

しかし、日本においては中国で尊敬される代表的人物として学ぶのではありません。禹王の生まれ故郷ではなく日本において学ぶのはいかなる意義を持つのかを考えることは決して無意味だとは思えません。

中国の経済的躍進を背景に偉大なる中国文化の発信力が増している時期です。こうした時代にこそ中国の歴史の草創期において輝きを放つ人物を日本で学ぶ意義をしっかりと認識しておく必要があるからです。

日本において禹王に光が当たったのはこの10年だと思います。足柄の歴史再発見クラブの郷土史研究者らが光を当て直したのです。足元の災害史を見つめ直すことで禹王に辿り着きました。

禹王に詳しい専門研究者にとっては自明のことだったかもしれませんが、なぜここに中国の治水神が存在しているのかという郷土史研究者の新鮮な驚きが禹王の再発見につながったことは高く評価されるべきです。

日本全国に存在する禹王遺跡を調査し、中国の禹王の民間研究者とも接点を持ち中国本土への調査も実施しました。しかし、この10年で禹王を取り巻く環境は大きく変化しました。

今は中国は世界第二位の経済大国で物量的には日本を圧倒しています。この中国の強大化は文化政策にも影響を与えています。中国が国力に自信を深めれば自国の偉大な歴史に誇りを持つのは自然です。

禹王もその有力な素材として扱われる傾向があります。禹王の終焉の地である浙江省紹興の大禹陵の禹王まつりは1930年代から休止されていましたが1995年に復活し盛大化しているのが一例です。

こうした時代に生きる中国人から見て、日本に残る禹王遺跡の存在や禹王を学ぶ日本人がいることは中国文化の偉大さの証だと単純に受け止めてしまう傾向があっても不思議ではありません。

しかし日本においては類まれな治水の代表的実践者として禹王を捉えている事例が圧倒的です。日本と中国の禹王に対する認識には大きな違いがあるのです。このギャップは無視はできません。

中国において禹王を学ぶことは、中国の偉大さを、日本において禹王を学ぶことは、治水に力点が置かれてます。両者の視点には食い違いがあることをきちんと認識する必要があります。

認識の違いを放置したまま交流を進めようとしてもいずれ矛盾が表面化してしまいます。両者のわだかまりの種になる危険性があります。認識の違いを互いに理解したうえでの交流が大切です。

禹王について異なる捉え方があることを認め合うことは新しい禹王イメージを創り出す土台となります。日中双方の郷土史研究者は、捉え方の違いを逆に活かして新しい禹王イメージの創造に挑戦して欲しいです。