天とともに歩む。
16日、新しい道の会合に久しぶりに参加しました。講師の杉田廣善さんの米寿をお祝いする会が神奈川県松田町であり出席するためでした。
「天」とか「魂」の話しになると抵抗感があり参加者は少人数で高齢の方が多いです。今回は、10人ほどの出席者で最高年齢は90歳、平均は70代半ばでしょうか。
ある参加者の方が私が時折ブログで新しい道のことを紹介することについて勇気がありますねと言われました。オカルト宗教かと誤解を受けないかとの心配からです。
目に見える世界だけでこの世があるとは思えませんので気にしませんと答えました。私には目に見えない世界、あの世への確信めいたものがあります。
宇宙全体が整然たる秩序の下で動いている根本のエネルギーは必ず存在しますし解明できていないだけです。それを神と称するか天と称するかだけです。
最新の科学の知見でも目に見える物質の世界は全体の数パーセントに過ぎず残りは目に見えない物質とエネルギーだと言われます。
ダークマターとかダークエネルギーと言われますが「ダーク」と勝手に名前を付けているのは人間の浅知恵に過ぎないと思います。
新しい道は目に見えない世界を理解する一つの見方です。中心に天のエネルギーがありそのエネルギーの分身を一人一人の人間が持っているとしてます。
分身のことを御霊と言います。魂といっても良いと思います。魂はなぜこのように生れ出たのかについてすべてを知っています。
しかし人間は悲しいかな心を持っています。心によってさまざまな欲望が生じて魂の存在、本当の自分を見ることができません。目が曇っているからです。
磨きをかけて魂の存在を知りなぜこのように生れてきたのか使命を理解することがいわゆる悟りです。この段階に達すれば恐れが消え不動心となります。
こうなれば自由自在です。この世に生れてきた使命を果たすために大暴れができます。現代社会は、不動心を身に着けた人材を求めていると思います。
難行苦行が必要なのかというとそうではありません。目の前に現れるすべての現象をありがたいと受け入れることから真実が見えてくるというのです。
ですから困難から逃げてはいけません。困難は有難い真理へと達する道です。山の奥にこもったりしなくても天命を知ることができるのです。
新しい道の教えはわかりやすさが特徴です。拝めとかお布施とかはありません。ただあるがままに受け止め乗り越えて行けばよいだけです。
最近の事例でいえば突如解任された神奈川県開成町の前副町長の小澤均さんも天命を知る機会だと捉えて欲しいです。悩むのは時間の無駄です。
府川町長の人の道に反した行為はいずれ付けが回ります。ほっといてご自身の未来を考えて欲しいです。天が何を教訓として与えているかと考えて欲しいです。
天命を自覚する一里塚だと思います。目の曇りを取り除き天からのメッセージを見つけ、天命を知り世のため人のために奮闘して欲しいです。