中国訪問記6~戦争は文化財を破壊する~

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中国最初の王朝「夏」の創始者の禹王が行った黄河の治水。難所中の難所が山西省にある禹門口です。遠くヒマラヤ山脈から流れ着いた水が平野へと注ぎ出るポイントです。

ぐっと川幅が狭まりますので洪水が起こりやすくなります。禹王はこの流れをスムーズにするために川を開削しました。それでも向こう岸がすぐそばに見えます。

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禹王が治水を行った場所には禹王を祀る禹王廟がありました。戦前の日本の教科書にも掲載されていました。有名な廟であったことは間違いありません。

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禹門口には治水のための管理事務所が置かれています。この管理事務所の所長を務めた張俊祥さんが現地を案内してくれました。先の日中戦争で廟は破壊されたということです。

下流側に日本軍が陣取り、上流側に中国軍。戦闘の結果廟は無くなりました。残されている写真から想像しますと治水の殿堂であったかのように思います。痛恨の極みです。

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昨日のブログで紹介しました禹王を祀っている城の遺跡も戦争で破壊されて丘の上の城がかろうじて残りました。こちらは中国国内の内戦による破壊です。

戦争は本当に悪です。禹門口は禹王の治水のシンボルです。この地に建っていた廟を蘇らすことができればこの上ないことです。戦争の当事者であった日本として重い宿題です。