追悼 岡崎洋 元神奈川県知事
昨晩、6日間の中国訪問から帰りました。今朝起きて岡崎洋元神奈川県知事が逝去されたことを知りました。清廉な岡崎さんの生きざまがすぐさま目に浮かびました。
1998年2月開成町長に就任し県庁に出向きあいさつしたのが岡崎さんとの最初の出会いでした。双方ともにあまり良い印象を持ちませんでした。
私は元政治記者で生意気です。岡崎さんは、元大蔵省出身で環境事務次官まで務めた超エリートですが、私は、全く意に介しませんでした。
初対面の時からはっきりと物申す姿勢に岡崎さんは苦い表情をにじませてました。地元を流れる酒匂川に橋を架けることを求めた時は特にそうでした。
岡崎さんが「地方の時代」の提唱で名をはせた長洲一二知事のあとを受けたときの県財政は危機的状況でした。バブル経済の破綻が直撃していました。
岡崎さんは報酬を削減し一期目の退職金を返上するほどでした。公用車での移動は避けて電車で秘書の方とともに行動していた姿を見ています。
財政規律重視で行政改革を進めることに心血を注いでいた岡崎さんにとって膨大な費用が掛かる橋を安直に架けられるはずがありません。
臆面もなく主張する若造町長にムッと来たのだと思います。しかし人間関係は不思議です。その後の岡崎さんと私の間には太いきずなが結ばれて行きました。
決定的なターニングポイントはかやぶき屋根の古民家瀬戸屋敷の再生への取り組みでした。岡崎さんはあじさい祭りにも来場され町の風情を知っていました。
田園風景に広がるあじさいの美しい景観を高く評価してくれました。あじさいの里のほど近くにある古民家を修復して都市と農村との交流の場としようとしました。
4億4千万円の財源調達が立ちはだかりました。岡崎知事が事業に理解を示してくれ財源確保に動いてくれました。国と県で60パーセント強の補助でした。
残りは町の負担でしたが5年計画事業でしたので町は無借金で対応できました。はこ物を無借金で乗り切ったことにはささやかな自負があります。
4数億円の一般会計規模でした。そのおよそ10パーセントの事業です。ついつい借金に頼ろうとしてしまいますが後年度の負担が町財政を苦しめます。
岡崎さんの尽力は感謝の言葉もありませんでした。岡崎さんが美しい景観づくりと古い建物の姿勢のまちづくりに深い理解を示してくれたおかげです。
環境行政を得意としていた岡崎さんの最後の仕事がエコループといって大都市部で発生したごみを神奈川県西部の山北町まで運び再生処理をする事業でした。
当然のことながら地元を始め環境団体などの反対運動が巻き起こりとん挫してしまいました。大都市部のごみを長距離運ぶことに無理がありました。
岡崎さんにとっては痛恨事だったと思います。しかし一方で水源地域の山林を守ることに力を注いでました。水源環境税の提唱がそれです。
実現したのは次の松沢成文知事の時代でしたが制度設計をしたのは岡崎さんです。年間およそ40億円の財源です。神奈川県民の水源林を守り続けてます。合掌。