解任後。
三顧の礼で就任してもらった人物を切ることはどうしても怨念を残し争いごとになりがちです。切られたサッカー日本代表監督も怒りが収まりません。
訴訟も辞さない様子だとメディアは伝えています。サッカーのように結果がすべての勝負事で白黒つけやすいスポーツの世界ですらこの有様です。
人事そのものが最も大切な仕事とされている政治や行政の世界では一歩対応を間違えるとあつれきが生じ修復するのが困難になりがちです。
典型的事例が神奈川県でありました。黒岩知事が県の病院行政分野の改革の切り札として県立病院機構の理事長に登用した著名な医者を解任しました。
先端医療現場での人事のいざこざが発端とされていますが黒岩知事は結果責任を登用した理事長に求めました。現在訴訟にまで発展してしまいました。
神奈川県開成町でも副町長をめぐって解任の動きがありました。最終的には辞表を提出し退任の形となりましたが後味が悪いものでした。
開成町の府川町政は退任した小澤副町長の存在抜きには語れません。府川町長の2回の選挙公約は小澤副町長が取り仕切り当選後は実現のため奮闘してました。
府川町長とてこの事実は絶対に否定できません。2015年4月の2回目の選挙の時は私も関わりましたので内部の事情はよくわかっています。
府川町長が自らの信念で政策的指示を出すことはありませんでした。驚かれるかもしれませんがそうでした。公約のライターは小澤副町長でした。
その小澤町長が年度末ぎりぎりの段階で突如辞任を迫られたのですからその手法は尋常ではありません。よほどの理由がなければ納得できません。
府川町長が小澤副町長に謝罪したという話しが伝わってきました。私が中国に行っていた時の出来事なので帰国後確認したところ間違いありませんでした。
府川町長は小澤副町長に対し町長として得た情報をほとんど伝えず結果として疎遠な関係に立ち至ったことについて全面的に謝罪したということです。
府川町長が自らの責任を認め疎遠な関係の原因を作ったことについて謝罪したことは、多少なりとも救われた感じがしました。
ではなぜ辞職を迫ったかと言えば次期町長選挙で小澤副町長が立候補を予定している山神裕さんの政策づくりに関わっているとの情報からだということのようです。
この問題に関して府川町長と小澤副町長との間でこれまで話し合ったことは全くなく突如として辞職を迫る理由になったようです。
一連の話を山神裕さんが聞いたら怒るだろうと思います。山神さんは自ら調査し自らの政策をパワーポイントにまとめ2月11日発表していました。
アドバイスをうのみにしてそのまま政策とするようなタイプの人物では全くありません。自らの判断を最優先する自立したタイプです。
府川町長は自らの選挙での政策立案の時と同様におんぶにだっこ状況であると勝手に邪推したのではないかと推測せざるを得ません。甚だ遺憾です。
いずれにせよ府川町長は政策を一手に支えてきた小澤副町長を切ってでも町政を推進できると判断したわけです。今後の対応を目を皿にして凝視していきます。