5月5日夏の到来を思わせるような快晴の子供の日、恒例の福澤神社の例祭に参列しました。江戸時代中期の1726年に始まり第293回目の祭礼でした。

福澤神社は、富士山などを源流とする酒匂川が山間部から平野へと注ぎ出る場所にあります。地形からして治水の難所であることがすぐにわかります。

戦国の世が終わり天下泰平な時代を迎えた1600年代の初頭小田原藩の藩主が酒匂川の大規模な治水工事を行いました。河川の流れを変えて新田開発しました。

土手を築き人工的に流れを変えましたので脆弱さがあります。1707年の富士山の大噴火の際にその弱さが露呈し土手は決壊しました。

噴火の砂の堆積によって洪水が土手を越えてあふれ出て下流部の平野は「水下六か村」と呼ばれるほどひどい被害を長期にわたり受けました。

わが郷土の危急存亡の危機を救った恩人が、幕府の命を受けた田中丘隅です。1726年土手を修復を完了して祠を建て安寧を祈りました。

中国の最初の王朝の創始者で黄河の治水に功績があったとされる伝説の皇帝、禹王(忌み名:文命)を祀ったのが福澤神社のルーツです。

工事の完成を祝う石碑の費用などは8代将軍の徳川吉宗が用立てていますので江戸幕府直轄の神社といっても過言ではありません。

田中丘隅が当時の村の名主に下賜したとされる幟旗が発見されました。名主の家柄につながる千津島地区に住む瀬戸良雄さんが見つけ出しました。

記録によればもう一本あったとのことですがそちらは見つかっていません。今年の祭りには神社の社殿登り口に備え付けられました。

幟旗を掲示するのは敗戦後から取りやめられていたということですので70年の時を超えて掲げられました。目にすることができたのは幸運です。

「文命」と見事に染め上げられています。治水神・禹王の研究家の大脇良夫さんはこの幟旗が確かに江踊時代中期のものであるかどうか調査すると話してました。

発見された幟旗が価値の高いものであることが早期に確定されることを期待します。仮に確定された後どうするかも課題となります。

富士山を源流の一つとする酒匂川水系の治山・治水体制は決して万全とは言い切れません。富士山噴火への備えは神奈川県側では手付かずの状態です。

上流の水源域と中下流地域との連携も十全ではありません。静岡県と神奈川県の二つの県をまたいで流れている河川であることに起因してます。

こうした多くの課題を抱える時期に田中丘隅の幟旗が発見された意義を考えないとなりません。幟旗の発見は田中丘隅の警告だと捉えるべきではないでしょうか。

田中丘隅の立場に当たる人は両県の県知事を筆頭に流域の自治体のトップだといえます。現代の田中丘隅たちに奮起を促していると見るべきです。

幸いにして小田原市の加藤憲一市長や大井町の間宮恒行町長の音頭取りで流域各市町の連携強化を具体に進める動きが出てきました。

酒匂川水系の治水体制の強化は喫緊の課題です。2025年は300年記念大祭となります。酒匂川治水体制の一新を祝う大祭とすべきだと思います。