1989年6月4日、中国天安門広場。民主化を求める学生や民衆を中国政府はついに軍を使い弾圧に踏み切りました。多くに民衆が犠牲になりました。

ある一人の男性が運動を弾圧するために繰り出した戦車の車列の先頭に立った一人で立ちはだかり行軍に待ったをかけました。

死の恐怖と隣り合わせどころか死を覚悟しないととてもできない行為です。勇気に驚嘆しました。願わくばこうした人物になりたいと思い続けています。

6月9日の夜、東京から新大阪に向かう新幹線の車中で若い男が刃物で若い女性を切りつけようとしました。この凶行に立ちはだかった男性が命を落としました。

女性をかばおうとして近くにいた38歳の梅田耕太郎さんが前に進み出て犯人が持っていた刃物で切り付けられたと見られています。

逮捕された若い男性は「誰でもよかった。」と供述しているということです。冷徹な殺人鬼になり切っていたように思われます。

殺意を持っていたのかどうかは不明です。ただ淡々と人を殺す任務を果たしているロボットと化しているかのようにも見えます。

テレビ報道をとても冷静に見ることはできませんでした。新聞記事を読むとこみ上げてきます。梅田さんという男性はいったい何者なのでしょうか。

外資系のメーカーに勤めるサラリーマンです。天安門事件のように戦車ではありませんが刃物を持った殺人マシーンが相手です。恐怖は同列です。

どうして立ち向かえたのでしょうか。その勇気はどこから来るのでしょうか。勇気を称えるとともに深く考えざるを得ません。

事件が発生した12号車には7割の乗客で埋まっていたとのことですので屈強の男性もいたはずです。梅田さんを除いて待ったをかける人はいませんでした。

あまりに突然の出来事で逃げるしかなかった状況に陥ったという事情は十二分に理解できます。でもなぜ梅田さんは果敢な行動を起こしたのでしょうか。

もはや理由を聞くことはできません。推測するしかありません。私は依然として悩み抜いています。果たして自分にできただろうかという思いを抱きながらです。

一瞬のひらめきのような行為です。何者かに導かれたとしか言いようがありません。その行為を通じて何かを世に問うているのではないでしょうか。

私は梅田さんの勇敢な行為からサムライスピリットを思いました。サムライスピリットとはいざという時には身を挺すことができる精神です。

梅田さんのようなひとをサムライと呼ぶのでしょう。著名な作詞家の阿久悠さんは「武士は階級だがサムライは精神だ。」とある詩の中で語ってました。

身を挺することができる精神を有していればサムライなのですからサムライが車中に溢れていてもおかしくは、ありませんでした。

しかし梅田さん以外にサムライが登場することはありませんでした。これが現在の日本の実情です。サムライスピリットが衰退しているのです。

梅田さんからの重い問いかけだと思っています。梅田さんの勇敢な行動を称えるとともに心底からご冥福をお祈りいたします。