民主主義国と独裁国家の指導者の存在感について。

先週のブログで1980年代後半から1990年初めにかけて自民党の最高実力者であった金丸信氏の政治家として栄枯盛衰と北朝鮮との関りについて書きました。

(ヤフー画像より)

1990年9月北朝鮮を訪問し国交正常化の扉を開いたとたんに政治家としての転落のドラマが始まり最後は脱税で司直の手によって逮捕されました。

北朝鮮を訪問した金丸信氏は北朝鮮の最高権力者の金日成主席との会談に臨みました。金丸氏を出迎える金日成氏の堂々たる体躯にくぎ付けになりました。

私はNHKの記者として同行してまじかにその様子を見ました。明らかに金日成主席の存在にずしりとした重さを感じました。

経済的には貧困にあえぎ北朝鮮と日本との力量の差は比べようがないほどでした。しかしトップリーダーとしての貫禄は経済的格差を感じさせませんでした。

金丸信氏は位負けしているような印象を受けました。金日成主席に対し「主席」ではなく「閣下」と呼びかけていたことが耳に残ってます。

国家の指導者としての威風堂々は経済力ではない何かによって支えられるという印象を私に残し政治家の威厳とは何かという問いを私に投げかけました。

今度はトランプ大統領です。アメリカは、勢いに陰りが見えるとはいえ経済力では依然として世界一です。そして軍事力は他と比べようがありません。

そのアメリカの指導者が経済的苦境から依然として抜け出せないでいる北朝鮮の金正恩委員長と歴史的会談を行いました。様子が映像で流れました。

金正恩委員長に同行した北朝鮮軍の幹部とあいさつする際のトランプ大統領のふるまいにぎょっとしました。握手しようと手を差し出しました。

北朝鮮では最高権力者と握手するような流儀がないのでしょう。硬い表情で敬礼しました。するとトランプ大統領は慌てて敬礼し返しました。

たわいもないと言えばたわいもないしぐさを捉えた一コマです。しかし私には金丸信氏と金日成主席との会談の様子がよみがえりました。

世界最高権力者の仕草にしては、その権力の強大さに比較して軽はずみに見えました。政治家としての立ち振る舞いとは無縁の世界で生きてきたと思いました。

尊大に振る舞うことが重要と言っているのではありません。国家を背景にして歴史的会談に対峙する指導者として軽さを振りまいたと言っているのです。

指導者としての威厳はどこから来るのかという謎がまたもや首をもたげました。政治家として存在感をもたらすものはいったい何なのかという疑問が深まりました。

国家を一身に背負っているという確信だと私は見ています。トランプ大統領より北朝鮮の金正恩委員長にそれがより強く現れているのだと思います。

民主主義が望ましいと考える人たちにとって大きな矛盾です。どうしたらこの矛盾を克服して独裁国家に対し存在感を示す指導者が誕生するのでしょうか。

民主主義国のリーダーが、本当に民主主義への確信を持っているかが問われているのです。民主主義を標榜しながら独裁にあこがれていては勝負になりません。