明治維新から150年、西郷隆盛の言葉に耳を傾けましょう。

今年度も日本大学と神奈川大学でまちづくりの講義を続けてます。私にとってのまちづくりとは首長とは何かを考えることです。

首長の発想や行動でまちづくりは大きく変化することを身を持って体験したからです。誰が行っても同じなどということはあり得ません。

名だたる古典、3冊を活用しています。ドイツのマックス・ウェーバーの『職業としての政治』、マキアヴェリの『君主論』と西郷隆盛の『遺訓』です。

19世紀末から20世紀にかけて活躍した大社会学者のマックス・ウェーバーは、情熱と判断力、それに責任感が必要だと言いました。

しかし現実の政治は机上の話ではありませんのでウェーバーが考えるようにきれいに行きません。情熱は熱さ、判断力は冷静さです。両者の共存は困難です。

イタリアのルネッサンス期の職業外交官であったマキアヴェリは言います。倫理だ責任といった徳目と政治は一切無関係な術だと断言しました。

善人のふりをすればよく怖がられる存在になることが大切だと述べています。権謀術数渦巻く現実政治と道徳とを遮断しました。

君主論は、悪魔のささやきのようではめられてしまう魔力があります。しかしのめり込むのは危険です。権謀術数の泥沼に引きずり込まれるからです。

西郷隆盛は全く異質の観点から政治家を問います。私利私欲を捨て去れというのです。欲望のぶつかり合う政治の世界で私利私欲から離れろというのです。

命も名誉も官職も金も要らないというような始末に困るような人でなければ国家を揺るがすような大仕事はできないと述べています。

私は西郷隆盛の姿勢こそが現代の政治社会において最も大切だと思います。ウェーバーの理想論やマキアヴェリの現実論では越えられない壁があるからです。

政治は恐怖との戦いです。全ては恐怖が悪さをします。職を失ったらどうしよう、失敗したらどうなるだろうありとあらゆる恐怖が沸き起こります。

この厄介物を御してよりよい社会の実現を目指して挺身するのがリーダーの役割です。恐怖は理念では克服することは困難です。

恐怖のもとは私利私欲だからです。西郷が述べているようにエゴを消すことが理想の政治家に近づく最大の道だと思います。

実践しながら私利私欲を消す道は容易ではありません。私の体験では乗り越えるための絶対条件はウェーバーも挙げている情熱です。

これなしに恐怖に打ち勝てません。情熱の限りを尽くして現実と悪戦苦闘しているうちにふと天からひらめきがやってきます。

自分は何をするためにこの世に生まれ今の立場にいるのかということにハッと気づく瞬間があるのです。要するに天の声です。

自らの使命を自覚し自らの存在に確信を持つようになると不思議なことに恐怖心は消え全ての責任を引き受ける心構えになります。

本当の冷静さが生まれます。混とんとした現実の中でも冷静な判断が可能となります。これが政治家として首長として理想の心の状態です。

最初の第一歩は西郷隆盛が言う私利私欲を捨てる姿勢にあるのです。明治維新から150年、西郷の言葉に耳を傾けようではありませんか。