元首長の視点から見た西野采配。
世界中を熱狂させているサッカーのワールドカップ。いよいよ明日の未明、日本はFIFAランキング3位のベルギーと対戦します。
1次リーグ最終戦のポーランド戦の西野ジャパンは1対ゼロで敗れました。正確にいうと敗れる選択をしました。追いつこうと戦いませんでした。
終了間際の10分間は日本はパスを回して時間をつぶし、リードしているポーランドは勝つためにそれを眺めているような時間帯でした。
セネガルと勝ち点や得失点差で並んでも警告の枚数で有利だからでした。西野ジャパンは背筋が凍るような危険な賭けに出たわけです。
私にはまるで人工知能のような判断だと思いました。人間と人工知能の違いは心があるかないかです。あれば恐怖心を呼びます。
なければ確率で判断するでしょう。人工知能は、1次リーグ突破のためには何もせずに敗れた方が確率が高いと判断したと思われます。
がけっぷちに立たされていた強豪コロンビアは死力を尽くして守ります。その守備力の方がセネガルの攻撃力を上回ると確率で判断したはずです。
人工知能は判断しておしまいです。しかし西野監督は人間です。頭の中では人工知能のように判断しても疑念は消え去りません。
最大の恐怖のシナリオは戦いを避けて逃げているうちにセネガルがまさかのゴールをして引き分けに持ち込まれれば全てが終わりです。
この状況になった時、浴びせられる批判の嵐を考えると恐怖心で身震いすると思います。日本に帰国できないほどの反発が予想されます。
西野監督はそうなったらそうなっただと覚悟を決めてあえて負ける選択をしたはずです。この決断は並大抵ではありません。
なぜ恐怖を乗り越えて人工知能のような判断ができたのでしょうか。見通しへの確信がカギだと思います。これは首長経験者としての直感です。
首長をしていてぎりぎりの判断に迫られるととりつかれるのは恐怖です。これを脱却しないうちに決断するとろくなことはありません。
拭い去るにはある種の確信めいた天の声のようなものに導かれるまでたどり着かないとなりません。西野監督もきっとそうだと思うのです。
日本は決勝トーナメントでも互角の勝負ができる実力があり、本当の勝負の時は今ではないとの見通しに確信があったとしか考えられません。
その確信が人工知能のような確率重視の選択を引き出したのだと思います。確信があればどんな恐怖も乗り越えて冷静な判断を導きます。
西野監督の選択がどう評価されるかは西野監督が互角の戦いができると判断したはずの決勝トーナメントの戦い方で実証されます。
ベルギー戦で無様な負け方をしたらポーランド戦はただ単に決勝トーナメントに出るためだけの汚いやり方として再び批判に晒されます。
逆に日本らしいチームワーク重視、全員で守備をする献身、そして匠の技のゴールなど良さを存分に活かしたサッカーを展開すれば評価は反転します。
日本サッカーのすばらしさを世界に見せるための選択だったと立証できるからです。今晩は早めに寝て未明に起きこの目で確かめます。