国際連帯税について思うこと。

評論家の内田樹さんによる『日本辺境論』という新潮新書があります。東洋の辺境の国という意識が底流に流れていることを分析した日本人論です。

グローバル化が激しく進んだ今日でもこの意識は根強くあると思います。日本人のDNAとなっているのではないかと思うほどです。

辺境意識の表れの一つが外国から入ってくる文化や思想、政治運動に弱いことです。自国の状況と向き合うというのではなく外国の動静を気にします。

夏目漱石ら日本の近代を代表する知識人がこうした態度に警告を発していました。日本の文化は外発的で内発的ではないと指摘してきました。

明治維新から150年。日本人の間に拭い難くまとわりついている辺境意識を見つめ直しこのままでよいのかどうかを考える必要があります。

足元を見つめずに常に外に目を向けて流行を追うことによる弊害があります。横文字だと有難がり、足元にある貴重な伝統を避けがちです。

昨今特に心配するのは外に常に向ける態度があまりに一般的となっているので外に目を向けているのだという意識自体が希薄なってしまっていることです。

SDGsという言葉に注目しています。ローマ字読みでエスディージーズと読みます。持続可能な開発目標という英語の略です。

国連が提唱している17の開発目標のことです。注目度がぐんぐん上がってます。思わぬ行政文書にもこの言葉が出てきてます。

私たちの地域を流れる酒匂川の土砂管理について神奈川県がまとめた文書に「酒匂川総合土砂管理プランとSDGs」という独立した項目がありました。

ちょっとしたブームになっているようです。「グローバル連帯税フォーラム」という催しの案内が届きました。SDGsが中心に取り上げられてます。

「今日、グローバル社会は SDGs(持続可能な開発目標)達成に向けて努力する時代を迎えています。しかし、開発資金は圧倒的に足りていません。」

案内にはこのように書かれていました。海外旅行者に対し課税して発展途上国への支援の財源を確保することを当面の目標としています。

当然のことですが外務省が旗振り役です。広く薄く課税して財源を確保し細りつつある政府開発援助(ODA)の財源確保をしたいという考え方です。

国連が掲げる貧困や飢餓をなくす、質の高い教育の提供するなどの目標は全て大賛成です。そのための財源が必要なことも理解できます。

しかし自発的意思というより国連という外の権威からの提唱を受けてその流れに乗って財源を確保しようという姿勢が気になります。

日本として日本人としてこのような行動をとることが不可欠であるという認識がないと一時のはやりのような運動になる恐れがあります。

残念ながら日本国民の中から持ち上がった内発的な運動ではないからです。足元の事象と格闘した結果としてこうした運動が起きたとは言えません。

日本国内でも貧困問題は深刻化しています。こちらへの対応を充実させることの発展形として臨んでこそ本物の運動となりうると思います。