神奈川の飲料水の循環を学ぶツアー

神奈川県西部を流れる酒匂川の水が取水された後、県東部の横浜、川崎、横須賀の大都市部に送られているかを見学するツアーに参加しました。

企画したのは地元の災害の歴史を学び子供たちら地域の皆さんに伝える活動を続けている足柄の歴史再発見クラブの会長の小林秀樹さんです。

知っているようで知らないことを知ることができたツアーでした。それにしても暑いです。ほんの少し外を歩くだけで汗だくになります。

参加者は20人。酒匂川流域の中心都市の小田原市からの参加者も多かったです。市議会議員の佐々木ナオミさんも参加してました。

最初に酒匂川の水の取水地、小田原市飯泉の取水施設を見学しながら説明を受けました。なぜ下流部が取水地となったかを初めて知りました。

水は高いところから低いところに流れますので高い地点を取水ポイントとすれば自然流下といって自然の力で水を送ることができます。

ところが神奈川県の判断は自然に逆らった判断をしました。標高8メートルの飯泉を取水地としたのです。理由は下流の方が水量が豊富だからです。

1969年から1978年にかけて神奈川県内の水道事業の基本となる体系を神奈川県は作りました。自然の流れに逆らった壮大な計画でした。

下流部の豊富な水を取水しポンプでくみ上げて曽我丘陵の標高100メートルほどのところから丹沢山の岩をくりぬきトンネルで水を送ります。

中継点が県央部の伊勢原浄水場です。再びポンプでくみ上げて県東部の相模原浄水場に送り川崎市北部にある西長澤浄水場へとつながります。

酒匂川の水は人工的に上り下りして大消費地の県東部へと送られるのです。経済の高度成長時代、それだけの水量が必要だと判断したのでした。

神奈川県内広域水道事業団という特別地方公共団体が担い神奈川県企業庁、横浜、川崎、横須賀の水道局に飲料水を供給しています。

酒匂川水系に加えて1980年から2007年にかけて神奈川県最大の河川の相模川水系からの飲料水の体系も確立しました。

神奈川県の飲料水の供給体系は目玉を二つ持っている訳です。災害時には有効です。一方の体系がだめならばもう一方の体系から融通できます。

川崎市にある広域企業団の西長沢取水場、横浜市保土ヶ谷区の丘陵地帯の頂上にある横浜市水道局の水道博物館も見学しました。

戦後、日本最大の巨大都市へと成長した横浜を始め県東部の発展のために水の確保がいかに重要課題であったかを知りました。

最後に横浜市三ツ境にある広域水道企業団の本部事務所で災害時の対応について話を伺いました。管理は3人6班で24時間体制で備えています。

酒匂川の水が県東部へと送られ発展に貢献してきたことを再確認しました。一方その事実が大都市の住民に伝わっていないことも事実です。

水を通じて神奈川県はひとつにまとまっているということは極めて大切な事実です。もっと県全体にアピ―ルする必要性を感じました。

その中で広域水道企業団はいわば飲料水の水循環を支える接合の役割をしています。地味ではありますが大切な役回りであることを確認できました。