本日、平和の集い開催

神奈川県開成町遺族会の平和の集いが終戦の日の今日午後1時半より開成町民センターで開催されます。

話題の『君たちはどう生きるか』を題材に私が講演させていただきます。ぜひお出かけください。

それにしても80年以上も前の少年・少女向けの著書がなぜ売れるのでしょうか。考えさせられます。

今年から小学校で道徳が正式の教科になるなど道徳をめぐって論議が続いていることも背景にあるのでしょうか。

それともマンガ本となって読みやすくなったことが要因なのでしょうか。詳細な分析はされていません。

注目すべき現象です。岩波文庫の原本と漫画版、それぞれを購入した子供や大人の意見を聞きたいです。

と同時に私は『君たちはどう生きるか』を通り一遍の少年少女向けの道徳本として活用されてしまうことを心配します。

「どう生きるか」は子供だけの問題ではなく大人の問題でもあるからです。むしろ大人の方が真剣に向き合うべきです。

よく子供たちに人生訓を述べていながら自らの生活はふしだらという事例があまたあります。

これでは誰も道徳なんて心の底では信じません。大人たちが姿勢を正すことが一番の道徳教育です。

国会答弁で嘘はつくは国会議論の大前提の資料を改ざんするは、これでどうして道徳教育ができるでしょうか。

本日の講演でもこのことは最初に話したいと思います。大人たちも問いかけられているということを。

「どう生きるか」という問いは「どうよりよく生きるか」という問いです。かのソクラテスが追求した課題です。

「目先に事に汲々として恥ずかしくないのか!」と古代ギリシャの哲人は大人たちに問うたのです。

そのソクラテスは若者を惑わすということで捉えられて死刑判決を受け逃走もせず判決を受け入れました。

ソクラテスの問いの延長線上に「君たちはどう生きるか」も存在すると私は捉えています。

大人も少年・少女も全く変わりなく考えるべき課題です。むしろ反道徳的な暮らしをしている大人たちこそ読むべきなのです。

もう一つ重要な視点があります。この物語を歴史的にきちんと位置付けて読むことが全体に必要だということです。

少年少女たちが悩み成長していく美しい物語として捉えることは物事の本質を著しくゆがめます。

私は作者の吉野源三郎さんも捉え方にずれがあるのではないかと疑念を持ってます。

作者の吉野源三郎さんは戦前の軍国主義体制に反感を持ち少年少女たちに自由に考えることの大切さを伝えようとしました。

自由というのは極めて大切です。自由にしゃべれなくなった時の窮屈さは耐えがたいです。

しかし厳しい言論弾圧の中で自由の大切さを訴えた行動は残念ながら功を奏しませんでした。

日本は戦争に突入し惨たんたる敗戦を迎えました。物語の主人公たちは戦死した可能性が高いのです。

主人公たちはまるで戦争で死ぬために生まれてきたような世代と言って良いのです。

この事実の重みを受け止めなければなりません。戦争してしまってはダメだということです。

このことが『君たちはどう生きるか』の一番大切な主題だと私は思います。徳目より大切です。

 

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