平和の集い報告

昨日は終戦の日。叔父をフィリピン沖で亡くした遺族の一人として神社の境内にある忠霊塔で慰霊をするのが毎年の習わしです。

年々遺族の方の参加が減ってます。高齢化のためです。開成町では二つの意続開があります。

昨年は25人の参加でした。今年は20人だと伺いました。全国各地もそうですが遺族会の継続は課題です。

開成町遺族会では慰霊するだけではなく戦争と平和を考えようと毎年趣向を凝らしてきました。

今年は10回目にあたります。話題のベストセラー『君たちはどう生きるか』を題材に私が話しました。

100人ほどの参加者でした。大半は遺族会以外の方です。小学6年生の娘さんとお父さんの二人で参加してくれた家族もいました。

私の講演はギリシャの大哲学者ソクラテスの話しから入りました。ソクラテスも生きる意味を問うたからです。

古代ギリシャで有識者を始め片っ端からよりよく生きるとは何かを問い討論を仕掛け続けました。

「目先のお金や名誉のことばかり気にして恥ずかしくないのか。」と。ついに捕らえられ死刑に処されました。

なぜこの話から入ったのかというと『君たちはなぜ生きるか』は決して子供向けの話しではなく大人も読むべき本だからです。

大人たちが責任逃れして子供たちに未来を託し立派に生きろと言っても全く説得力に欠けます。

大人たちがしゃんとすれば社会は良くなります。自然と子供たちはその背中を見て立派に育ちます。

『君たちはどう生きるか』の作者、吉野源三郎さんが託した思いは何だろうかをテーマに話を進めました。

軍国主義の足音が最高潮に達しようとする1937年7月に出版された本です。つらい戦争の時代の入り口で書かれました。

子供たちに決して自己中心的にならずに自分の考えを持ち勇気をもって社会のために貢献して欲しいと願って書かれたはずです。

しかし主人公のコペル君たちの世代は否応もなく戦争へと駆り出されました。1943年12月からは大学生も徴兵されました。

戦争で死ぬために生まれてきた世代であったのです。コペル君たちは特攻兵になったかもしれません。

どんなに立派な夢を描いてもそれを活かす舞台がなければ意味がありません。平和がいかに大切かという言葉で締めくくりました。

随分と質問が出ました。コペル君の物語を現代の世界平和に活かす何か方法はないのかという意見もありました。

私は人口密集の国土の形状からして日本は弱いという事実からスタートすべきだと答えました。

戦争を起こしてはダメなのです。戦争を止めため粘り強く交渉できる人材を育てることです。教育が大切だと思うと話しました。

どのように戦争体験を語り継いでいったらよいのかという質問もありました。学校での授業に期待すると話しました。

『君たちはどう生きるか』を大税に授業をすることも良いでしょう。考える授業をして欲しいです。

第11回目の平和の集いは、沖縄とか原爆とか戦争体験の枠を広げて考えて欲しいともいます。

沖縄や広島、長崎を良く知る人に話をしてもらったり自分たちだけの戦争体験ではなく広く知識を求めて欲しいです。

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