神奈川県開成町長選挙、真の争点3-1~おごりと町政~

何事も謙虚さを見失うと危険が忍び寄ってきます。特に権力を持っている者場合、その座を失うことにつながります。

神奈川県開成町の府川裕一町長におごりが見受けられ町長の座から滑り落ちる日が近づきつつあると感じました。

8月15日終戦の日に開催された町遺族会主催の平和の集いの式典の冒頭で府川町長はあいさつに立ちました。

儀礼的な挨拶はそこそこに自らが最重要課題と位置付けている新庁舎の建設について話し始めました。

多くの参加者が一体何を話し出したのだろうかといぶかったと思います。私もその一人でした。

まなしになぞは解けました。建設される開成町庁舎は、省エネルギー機能に優れていることを自慢したいのでした。

自然エネルギーで維持管理のエネルギーを賄い電力の使用を抑えコストが大幅に軽減される仕様となっています。

その結果、余剰財源が生まれたとえば平和の集いのような催しを支援することが可能になるというのです。

一生懸命知恵を絞り自慢したい省エネ機能と平和の集いを結び付けようと涙ぐましい努力をしたのでしょう。

しかし省エネでお金をねん出することと平和は比較の対象として話題にするその発想が間違ってます。

平和の集いの本来の趣旨を冒とくするものです。戦没者に対する鎮魂の思いが乏しいと言わざるを得ません。

先の大戦では、日本国内外で甚大なる犠牲者を出しました。その結果として今日の日本の平和があります。

このかけがえのない尊さに思いをはせる気持ちがわずかであっても存在するのか疑問が生じます。

あるのであれば省エネで財源を生み出して平和の集いを支援するなどという挨拶ができるはずがありません。

厳粛な気持ちがよぎり、この場に相応しい挨拶ではないとすぐに気持ちを切り替えるのが常識です。

平然と平和の集いの場で役場新庁舎の省エネぶりを自慢したということは戦没者を悼む気持ちが希薄だからできたことです。

なぜこうした事態になるのでしょうか。私は府川町長におごり症候群が巣くっているとみます。

おごりの気持ちがあるから平和を考える式典なのにも関わらず自慢のあいさつができるのです。

自分は町長で立派な仕事をしていてその象徴が新庁舎の建設であるというおごりがあるのです。

こうしたおごりを制して謙虚さを取り戻さないと冒頭述べたように権力の座から滑り落ちます。

町民は愚かではありません。見るところはきちんと見ています。なめてはいけません。

そもそも庁舎の建設は30数億円の財源が必要で20数億円は借金ではないですか。

将来世代に大きな負担を強いて庁舎は建てるのではなく建てさせていただくのです。

それだけの大きな意味があるという建設の意味を謙虚な姿勢で町民に語りかけて理解を求め続けるのが本来です。

大借金で建てておいて省エネで維持管理費が削減されるからいいだろうというのは本末転倒です。

府川町長のおごり、町長選挙の争点の根幹になると予測します。町長としての資質を問う事柄だからです。