神奈川県開成町長選挙、真の争点3-3~おごりと町政~

開成町を代表するお祭りは6月のあじさい祭りと、9月の阿波踊りです。いずれも無から有を生んだイベントです。

(町HPより)

外に発信するイベントがなかった開成町。田んぼのあぜ道に植えたあじさいが注目を集め出しました。

集中的に5000株のあじさいを植えたのが功を奏しました。総延長は10キロを超えました。

お祭りを開催したのが1988年に第一回のあじさい祭りを始めました。数千人の人出でした。

私の町長時代にメディアを使い東京などの大都市への発信を強化しました。20万人の一大イベントへと成長しました。

あじさい祭りが始まった1988年、当時の町長の強いリーダーシップで初秋の町を挙げての阿波踊りが始まりました。

スタートの年雨が激しく、中学校の体育館で記念すべき第一回の祭りを実施せざるを得ませんでした。

祭りを始めたのは来年4月の町長選挙への出馬を準備している山神裕さんの父上の山神輝(あきら)さんでした。

(町HPより)

阿波踊りは私の町長時代に練り歩くコースを大胆に変えてまっすくな都市計画道路沿いに会場を移し今日の基礎を造りました。

あじさい祭りにしても阿波踊りにしても全く伝統のないところから祭りを始める苦労は並大抵ではありません。

あじさい祭りと阿波踊りを始めた山神輝さんはわずか2年10か月で心筋梗塞で急逝しました。

町議会の前には夜遅くまでこうこうと町長室の明かりが深夜まで灯っていたことは今でも語り草です。

山神輝町長のこうした努力が礎となってあじさい祭りも阿波踊りも順調に育ち町を代表する祭りとなりました。

あじさい祭りも阿波踊りも今年で31回目です。ひと世代が過ぎて新たな出発となります。

あじさい祭り、阿波踊りとも前町長には例年招待状を出すのが慣例となっています。

ところが今年から私には招待状が届かなくなりました。理由はあえて聞いてませんが想像は付きます。

府川裕一町政に対し反旗を翻しているのが面白くないのでしょう。反対する前町長には出さないと判断したとしか思えません。

招いて欲しいと駄々をこねているのではありません。町を代表する祭りは府川裕一町長の私物ではないと言いたいのです。

これまで祭りの発展に貢献した歴代町長らを招き大いに祭りを盛り上げるのは現職町長の責務ではないかと問いたいのです。

府川裕一町長の後援会の行事ならば招待者は町長が勝手に決めてよいでしょうが町の祭りは事情が異なります。

自分がトップなのだから勝手に決められるとのおごりです。歴代町長らの苦労をないがしろにしています。

まちづくりは駅伝のようなものです。タスキを次々と渡して町をより良い姿に持っていくのです。

今日自分がある背景には何があるのかを常に見つめ直し謙虚な姿勢を持つことが何より大切です。

突如招待状を出さなくなった府川町長の姿勢は過去の努力の歴史の否定につながります。

府川町長にそうした行動を取らせているものは、町長に巣くうおごり以外の何物でもないと私には思えます。