『君主論』で読み解く小泉進次郎。

自民党の筆頭副幹事長の小泉進次郎さんが自民党きっての人気者であることは万人が認めています。

小泉さんは森友・加計問題に関連して特別委員会の設置に言及するなど安倍総理の対応に疑問を投げかけてきました。

そうした一連の言動から総裁選挙においては石破さんを支持に踏んぎるのかと憶測を呼びました。

結果として小泉さんの選んだ選択は、「どちらとも支持を明確にしない。」というものでした。

旗幟(きし)鮮明にすることは、今後のもろもろの行動に支障が出るとの政治決断だと思います。

安倍総理支持ならばこれまでの言動との違いをメディアに叩かれるでしょうし逆は安倍総理からにらまれます。

どちらに投票したかを明らかにしなければ藪の中に秘密はしまい込まれ政治的地位は確保できるということになります。

安倍総理の3選は確実ですので結果的にはこの大きな流れの中に乗ってというか紛れます。

政治学の古典に『君主論』という書物があります。著者は、ニコロ・マキアヴェリというイタリアの官僚政治家です。

権謀術数を駆使して政治の荒波を泳ぐ意味でつかわれるマキアヴェリズムという言葉が生まれる発端となった著書です。

マキアヴェリが生きた時代は15世紀前後のイタリアで国内は、小国が分裂状態に陥ってました。

マキアヴェリは、強力な指導者を求めて一冊のいわば政治リーダー論として著したのが君主論となります。

「善人である必要はなく善人のように振る舞え」「残酷な君主はごくたまの温情ある行いだけで哀れみ深いとみられる」

「人間は恐れている者より愛情を示してくれるものを容赦なく傷つける。愛されなくとも恐れられる存在にならなければならない」

倫理や道徳を重んじる立場の方々にとっては眼をむく言葉にほほを張り倒されたような気分になりはずです。

マキアヴェリの『君主論』は政治と倫理とを峻別し政治の要諦を語った書として後世に名を残しました。

マキアヴェリが現在の小泉進次郎さんのような状況に陥った時、どう振る舞うかに触れた個所があります。

「ある男を支持すること、あるいは敵視することをためらうことなく明らかにするとき、君主ほ非常な尊敬を受けるものである。」

「人は自分の立場を明らかにして立派な戦いをやった時の方がはるかに有利である。」

「勝利者は、逆境のときにたすけにならないようなあやしげな者を味方にもちたがらない」

「敗者の側もすすんで武器をとって自分の運命をかけようとはしないかったものを受け入れようとはしない」

小泉さんの決断はマキアヴェリの眼から見れば間違った選択をしていることになります。

もちろん時代は大きく異なり武器を持って殺し合いをしている訳ではありません。

しかし総裁選挙は、言論を武器にした最高権力の座をめぐる戦いの側面もあります。

旗幟鮮明にしないという小泉さんの選択は、安倍総理、石破元幹事長両者にわだかまりを残す結果となったと思います。

この暗い影は小泉さんの今後に常に付きまとうように思います。いざという時に色を出さない男という烙印です。