『君主論』を読み直す。
日本大学の三軒茶屋キャンパスまで自宅を出て2時間強。往復では5時間近くとなります。
無駄にはできないと思い立ち新聞や本を熟読するように努めています。スマホ時代の超少数派です。
古典を読み直すのが楽しみの一つです。このところマキアヴェリの『君主論』にはまってます。
小泉進次郎さんが自民党総裁選挙で支持候補を明言できずにうじうじしているのを見てぱっとひらめきました。
マキアヴェリが旗色を鮮明にすることの大切さをこんこんと述べていたことを思い出しました。
小泉進次郎さんは、党員投票が終了したのちに石破元幹事長支持を明らかにしました。
これは旗色を鮮明にしたのかどうか微妙です。若いのにずるがしこいと見らられかねません。
『君主論』は目的のためには手段を選ばない悪魔の書物と忌み嫌う方も多いと思います。
しかしこの書が書かれた当時、15世紀末から16世紀のイタリアは日本の戦国時代と同じ乱世です。
危機の時代の君主の身の処し方を説いているのですから平時における在り方とはそもそも異なります。
むしろ道徳とか倫理の立場を離れて政治のリアルな現場を冷徹な視点で描いたところに斬新性があると評価すべきです。
実は私は町長になりたての頃、『君主論』を読み直して「これで行こう!」と参考にした箇所があります。
第21章に「君主が衆望を集めるには、何よりも大事業を行い自らが類まれな手本を示すことである。」とありました。
最初が肝心、スタートダッシュは勢いよくちまちますることなく大胆に行こうと決めました。
ただいきなり大きな事業を手品のようにすることはできませんので工夫を凝らしました。
消防団の消防ポンプ車を逐次更新する既定方針を改め一括更新することで防災重視の姿勢を打ち出しました。
金額は忘れましたが3000万程度だったと記憶してます。関係者にちょっとした衝撃を与えました。
新しくした消防ポンプ車で放水訓練をしたりして成果をアピールしたりもしました。
実は一括更新して金額を高くしたほうが国からの助成を受けやすいというからくりがあったのです。
安上がりで求心力は高まり一石二鳥でした。町長なりたての私にとっては大きな一歩でした。
『君主論』にはいかにお追従者を避けるかについても書かれています。これはという賢人を選ぶことだというのです。
その賢人たちには自らが選んだ課題について自由にものを言わせて最終判断をすべきだと書かれてます。
このマキアヴェリの方策もなるほどと思いました。ただこちらはただちに応用できませんでした。
権力の座に就くと自分の意見が通らないといら立つものです。そこをぐっとこらえるのは想像以上に大変です。
真実を述べてくれる盟友を片腕あるいは両腕に配置するか、あるいは外部に持たないと甘い言葉に騙されてしまいます。
権力の座にあるものは全員がマキアヴェリの具体の提言に耳を傾けるべきだと思います。
マキアヴェリならお友達政治などもってのほかと鋭く糾弾することでしょう。安倍総理に『君主論』を勧めたいです。