今、なぜ西郷隆盛なのか。
昨晩、日本大学三軒茶屋キャンパスで公開市民講座が開催されました。テーマは、西郷隆盛でした。
講師役は、危機管理学部教授の先崎彰容(あきなか)さんで新進気鋭の日本近代思想史の研究者です。
先崎さんは、今年の1月、NHK教育テレビの「100分de名著」という番組で西郷隆盛を解説しました。
西郷隆盛の語った言葉を集めた『西郷南洲遺訓』を取り上げて西郷の思想を探りました。
一番の驚きは冒頭の西郷の言葉の解説でした。NHKのテキストでも触れていましたが目からうろこの話しです。
「廟堂に立ちて大政を為すは天道を行うものなれば、些とも私を挟みては済まぬもの也。」
表面的に解釈してしまうと、執務室で政治を行うことは天の道を行うことに他ならないので私利私欲を避けろとなります。
キーワードは「大政」と「私」だと先崎さんは解説してました。まず「大政」からいきます。
歴史教科書に必ず出てくる「大政奉還」の「大政」で政治一般を際しているのではないことに注意が必要です。
「大政奉還」は徳川幕府が政治の執行を天皇に返還したことですので「大政」とは天皇のもとでの政治のことです。
「私」に移ります。一般的にはプライベートの意味の「私」に解してしまいますがそれは誤りだということです。
明治新政府は、幕府を倒した官軍側の旧藩の中で盛んに派閥抗争が展開されていました。
派閥抗争などしている場合ではなく天皇の政治のために尽くせと冒頭で述べていたのです。
斎藤隆盛は身を正すことに極めて厳格でああるのでついつい私利私欲のことを述べていると誤解してしまいます。
維新革命が起こりその後の明治新政府の動きをきちんと踏まえた研究者の解釈の仕方は違うと敬服しました。
西郷隆盛が考える文明は、東洋的な道徳が広く行われることで近代西洋文明の考え方とは相いれません。
しかし東洋の道徳を理想とした西郷隆盛は西南戦争で近代西欧思想を学ぼうとした明治新政府に敗れました。
福沢諭吉は西南戦争について「(西洋)文明の利器を使えなかったから」と敗北の一員を指摘しているとのことです。
東洋の精神主義だけでは戦争には勝てないということで後々のアジア・太平洋戦争の敗北を暗示しているように思いました。
生と死が隣り合わせであった危機の時代、幕末維新期において西郷隆盛は波乱万丈の生涯を送りました。
現代は西洋に端を発した近代文明が行き詰り地球環境をはじめ生存の危機を迎えていると言われます。
また経済的な利益を差優先する資本主義の猛威が振るい極端な格差が生じ戦争とテロも絶えません。
西郷隆盛ならば東洋の道徳が廃れ西洋の文明のみが栄えてしまったことによる当然の結果とみなしたでしょう。
ということは今西郷の言葉をかみしめるということはもう一度東洋の伝統的道徳を見つめ直すということになります。
日本という国は東洋の道徳を基盤に西洋の近代科学技術を取り入れて近代化に成功した国です。
この原点に立ち返ると東洋と西洋を融合し新文明を創造する国となるのが日本の使命だと語っているように私には思えます。