教育勅語論争が巻き起こることを期待。

柴山文部科学大臣の発言が話題を呼んでいます。柴山大臣は、東大法学部卒で民間企業から転じて弁護士になった方です。

2日の内閣改造で初入閣し就任の記者会見で教育勅語について記者の質問に答える形で語りました。

朝日新聞デジタル版によると「現代風に解釈され、アレンジした形で、道徳などに使うことができる分野は十分にある」と述べました。

柴山大臣は、8月ツイッターに「戦後教育や憲法のあり方がバランスを欠いていたと感じています」と投稿してます。

また、山口県の島で行方不明になった2歳児を保護した男性の行動について高く評価してます。

「自己中心社会にあって、こうした無私の取組みをたたえるべきでないのか」と投稿したとのことです。

こうした前提があって記者会見で趣旨を記者から聞かれたあとに冒頭の発言がなされたということです。

直接の質問は、過去の文部科学大臣が教育勅語を評価していることについての感想でした。

活用できる部分として「同胞を大切にするとか、国際的な協調を重んじるとか」具体的な記載内容を挙げたとのことです。

柴山大臣の発言に対して立憲民主党の辻元清美国会対策委員長が言語道断だと述べるなど野党側は一斉に反発してます。

根拠は、新憲法が公布され国民主権の国となったことを受けて教育勅語が国会で排除・失効決議がなされていることです。

天皇のもとに臣民が奉仕する戦前の国家体系が戦争に負けて逆転したことによる国会決議です。

私は柴山大臣の発言は、凝り固まって暴論を述べたのでも軽率な発言でもなく持論を述べたのだと思います。

安倍内閣は昨年3月に柴山大臣の発言と同趣旨の内容の答弁書を閣議決定していますのでその流れを踏まえたと思います。

むしろ野党側のいわば棒を飲んだような決まりきった反応に対し違和感というか嫌悪感を持ちました。

ここは柴山大臣の発言を冷静に受け止めて真っ向勝負で教育勅語論争を仕掛ける姿勢が欲しいです。

入り口でだめなものはだめというような対応では論議は深まりません。国会らしい質の高い論議を期待します。

現在の憲法や教育基本法のもとでどのようにアレンジすれば道徳の教材として活かせるのか柴山大臣に問うて欲しいです。

一般論だけ述べていては国民には何のことかわかりません。具体的な論争にすることが不可欠です。

こうした具体の論議を通じて柴山大臣がどの程度の深い見識を持っているかが見え、化けの皮が剥がれるかもしれません。

政府側にとって墓穴を掘ることは大いにあります。教育勅語を評価するのであれば徳目を実践していなければなりません。

文書の改ざん、うその答弁。教育勅語の理想と明らかに反するのではないでしょうか。

立派な徳目を語るのであれば自ら実践していないと全く説得力に欠けます。ここを追及して欲しいです。

安倍総理大臣の森友・加計学園対応は教育勅語が言うところの「常に国憲を重んじ国法に随い」と合致してるのでしょうか。

野党の皆さんも自らの国家観に確信を持っているかどうかが問われるやり取りです。真剣勝負以外にありえません。