神奈川の中の中国を知り未来を展望する。

今月2日から8日まで横浜・本郷台の「地球市民かながわプラザ」で「神奈川の中の中国写真展」が開催されました。

日中平和友好条約締結40周年記念と神奈川県・遼寧省友好提携35周年記念を兼ねての開かれました。

主催は、神奈川県日中友好協会です。「足柄の歴史再発見クラブ」も展示に参加しました。

期間中の来場者数は330人ほどで一日平均50人弱でした。関心がもう一つ高まらなかったのは残念です。

展示内容は充実していました。つくづく神奈川県は中国とのゆかりが深いと改めて感じ入りました。

足柄地域の禹王は今から4000年前の中国の伝説の聖人君主で孔子が『論語』の中で高く評価しています。

紀元前3世紀、秦の始皇帝が不老長寿の妙薬を求め日本に派遣したとされる徐福伝説も秦野市や藤沢市、相模原市にあります。

鎌倉は、京都と並ぶ仏教のメッカです。代表格の寺院建長寺や円覚寺は13世紀中国からの渡来僧によって開かれました。

小田原の老舗薬屋ういろうの初代は14世紀中国から日本の博多に渡り帰化した人物です。

17世紀、江戸時代、中国から渡来した禅僧八つの絶景地の漢詩を詠んだことから名づけられたのが金沢八景でした。

今年は明治維新から150年。維新の後、日本と中国の関係は激変しました。立場が逆転したといっても良いです。

常に先進国中国文化を受け入れていた側の日本が先に西欧の諸制度や技術を取り入れて近代化を為し遂げたからです。

横浜には長崎と神戸に並ぶ中華街が誕生しました。中華街は今や横浜を代表する顔となっています。

日本の近代化を学ぼうと多くの前途有為の中国人が日本に留学したり亡命したりしました。

革命家孫文や文学者魯迅が代表格です。私は特に孫文と日本とのつながりに深い関心を持ちます。

孫文は箱根にも滞在していたことを知りました。箱根の老舗旅館に孫文の額が掲げられています。

近代建築を取り入れたホテルである箱根・宮ノ下の富士屋ホテルに孫文は宿泊しています。

小田原市国府津駅前の料理店で食事をして日本側の大物支援者らと対談していた時の写真があります。

もちろん横浜には多くの足跡を残しています。戦後は中国関係の学校に銅像も建てられました。

孫文は日本を離れる直の1924年に神戸で有名な演説を行い日本に対しその外交政策を厳しく問いました。

「日本は東洋王道の牙城となるのか西欧の覇道政治の手先となるのか」と。日本は力の政治を選び戦争への道を選びました。

先の大戦中、中国人が強制労働させられ相模原市の相模湖ダムの建設現場では犠牲者が出て記念碑が建てられてます。

こうした悲劇を踏まえもう一度孫文の問いかけを考えてみるとは今なお重い提起であることがわかります。

現代中国は急速な発展を遂げアメリカと肩を並べる国家になろうとしているからです。

今度は日本が中国に対し問い直すべきです。日本が歩んだ道ではなく東洋の王道を基本とすべきだと。

神奈川の中の中国を辿れば日本と中国の関係の濃さが一目瞭然であると同時に今後のすすむべき道も見えてきます。