「災害救援」でまちづくりという考え方

「災害救援」という用語を初めて目にし考えさせられたのは、そのものずばり『災害救援』という岩波新書でした。

1995年7月20日が初版発行の日付になってます。1995年1月17日の阪神淡路大震災の直後に出版されました。

精神科医の野田正彰さんが阪神淡路大震災の現実を目の当たりにして被災者の立場に立った救援を訴えてました。

野田さんが強調したいことは災害救援とは被災者を一人の人間として見て人間としてのつながりを取り戻すことでした。

3・11以降、広く語られるようになったいわゆる「絆」です。これこそが救援のカギとなるいう考え方でした。

当時の私はNHKを退職し政治家を目指していました。かつての勤務地が廃墟になってしまったことにがく然としていました。

「災害救援」というと新たに街の形を創り直すことをイメージしていて1人1人の被災者に向き合うという視点は弱かったです。

「災害救援」そのものを基軸にしてまちづくりを進めた事例が岩手県遠野市です。「災害救援」をメジャーにしました。

3・11の際に内陸部に位置する岩手県遠野市は津波による被害が甚大であった海岸部への「災害救援」の拠点となりました。

ボランティアを積極的に受け入れて被災地に赴く中継拠点となったことで重要な役割を果たしました。

間接的とはいえ「災害救援」活動に市を挙げて関わることを通じてまちづくりの一つのあるべき姿を示しました。

神奈川新聞は毎週日曜日に「減災新聞」という特集面を用意して災害に対する啓もう活動を続けています。

昨日の日曜日11月11日の「減災新聞」は「防災計画」主役は住民という見出しでレポートが書かれていました。

読み進め驚きました。私が住む開成町の隣市の南足柄市の自治会が津波対策で紹介されているではありませんか。

小田原市に隣接する南足柄市岩原・沼田地区は、小田原市からの津波避難者に対する救援体制を整えようとしています。

この対応は、3・11の際に神奈川県が岩手県遠野市にボランティア拠点を整備したことも参考になっています。

自治会単位で広域的な災害救援を行うことは記事にも書いてありましたが先駆的な取り組みです。

「災害救援」を切り口にして考えてまちづくりを進めることは自らの地域の災害対応についての認識も深めるはずです。

被災者の立場に立って何が必要かを考えることを問いかける取り組みで自らの災害対応に還ってきます。

すぐ近くでこうした画期的な取り組みが現在進行形で進んでいることを知らなかったことを恥じます。

私の住む開成町も地盤が比較的強く神奈川県の出先機関も存在することから「災害救援」を考える必要があります。

町役場庁舎は新築され防災拠点とされます。県の出先機関も建て替えが完了したばかりです。

町も県もお城だけができて災害時の役割がばらばらであっては有効な手立ては講じられません。

キーワードとして「災害救援」を取り上げ開成町と県の出先機関が連携し何ができるかを検討することが急務です。