急死された東京・荒川区議から学んだこと。

22日、東京・田町で今年7月64歳で死去した東京都荒川区議会議員の斎藤ゆうこさんを偲ぶ会があり参加しました。

斎藤さんは10代のころから労働運動に身を投じてその後33歳の時に荒川区議会議員に初当選しました。

東京の超名門国立大学の付属校を卒業しながら大学に進学しないなんてバリバリの左翼の闘士の匂いがプンプンします。

有能だったことは間違いありません。連続8期当選です。もともと才能豊かななので弱者の目線で世話を焼いたのだと思います。

斎藤さんは、「自主・平和・民主のための広範な国民連合」という幅広い層の政治勢力の結集にも努めていました。

1993年結成され初代代表は槙枝元文元総評議長でした。「広範な」と冠をつけているものの広がりはありません。

「日本の進路」という読み応えのある会報を毎月出し、アメリカ一辺倒の日本の進路を憂えています。

左翼用語が多く読みにくいところもありますが保守側が読んでも十分納得のいく主張ですが連帯の輪は広がりません。

国民連合のホームページでも公開されてますので興味関心のある方は是非ご覧ください。http://kokuminrengo.net/

ところが斎藤さんを偲ぶ会の挨拶のトップバッターは、自民党の東京都議会議員の方でした。

公明党の元区議のあいさつもありました。皆さん異口同音に「考え方は違いますが」という前置きを述べてました。

もちろん斎藤さんの同志も駆け付けてました。沖縄県知事選挙と同時の県議補選で勝利した女性県議も参加されてました。

100人ほどの参加者でしたが、広範な国民連合の本来あるべき姿が垣間見えた感じがしました。

斎藤さんの人間力だと思います。私も大したつながりはないのにいつの間にか巻き込まれた感じです。

神奈川県における日米地位協定の抜本改定や日朝関係改善の行動を通じて市東さんと知り合いになったのがきっかけです。

私にもぜひ挨拶をということで要請がありましたのでひとこと斎藤さんについて述べさせてもらいました。

斎藤さんとの関係では心残りのことがあります。焼肉の本場、荒川で一緒に焼き肉を食べれなかったことです。

誘われていて昨年末そのチャンスがあったのですが会に参加できず今年こそはと思っていたら亡くなられてしまいました。

斎藤さんが幅広い政治勢力を集めるのは「右だ左ではなく日本事態の危機だ。」という主張だからではないかと問いかけました。

会場で流された区議会での最後の質問の模様を引用しました。「明治維新150年」をテーマに質問してました。

日本は明治維新の遺跡が残る荒川区として遺跡を新たな視点から見つめ直す必要性を訴える質問でした。

斎藤さんの質問をしている姿を見てこうした姿勢を持つからこそ幅広い勢力を呼び込めるのだと思いました。

斎藤さんが日本の危機をひしひしと感じていて主義主張を超えた結集の必要性を確信していたからに違いありません。

斎藤さんのような危機意識の左派政治家が増えれば分裂ばかりを繰り返すような無様な姿を晒すことはないと思いました。