看取りと向き合った映画「いきたひ」鑑賞記

30日、金曜日の夜お隣南足柄市文化会館で人生の最期をどう看取るかを考えるドキュメンタリー映画の上映会がありました。

偶然、行きつけの歯医者さんでチラシを見て申し込みました。「いきたひ」という映画で私は初耳でした。

ところが2015年4月より上映が始まってから全国で250か所以上、動員数は3万人以上ということでした。

自主上映会のみで250回ということは年間80か所以上毎週1、2回、全国どこかで上映されていることとなります。

厚生労働省の調査では年間およそ134万人が亡くなってます。それだけの数の看取りがあることになります。

60年前の日本では自宅で最期を迎えるのが一般的でした。私も、祖父母も、父も自宅で息を引き取りました。

最後の瞬間には立ち会うことはできませんでしたが人生最期の様相はそれなりに観て老いと死を実感として持ってます。

今は最期を迎えるのは主として病院です。終末期に相当の医療行為を伴うのが原因です。ここが大きな違いです。

人工心肺がその極致です。延命を望むとしたらそうぜざるを得ませんが行員以外では対応することができません。

監督は長谷川ひろ子さん。末期がんの夫は延命治療を断り自宅で最期の最期まで看取られました。47歳でした。

当初私は看取りと正面から向き合った映画とのことでしたので衰える姿を追い続けたドキュメントと思ってました。

ところがそうではなく看取る側の人たちがどう感じたかをインタビューして構成する内容でした。

夫は耳の下にできる末期がんに侵された姿が流れていました。がんが体外に跳び出てきておぞましい姿をさらしてました。

長谷川さんが上映後の講演会で「この世のものとも思えない匂い」と表現されてました。会場まで匂ってくるかのようでした。

こうした姿になっても自宅で死を迎え看取ったという事実を直視しなくてはなりません。並大抵ではありません。

映画作りをしたことの無い素人の元アナウンサーが55分の映画に仕立て上げたことに驚かされます。

天上の亡き夫からの支援だとしか思えませんし、亡き夫とともに今を懸命に生きることこそが供養との決心が伝わります。

監督が最も伝えたいメッセージは生と死は一体ということでした。死という土台があって生があり循環するとの考え方でした。

生と死を一つの文字にした造語を紹介していました。生まれ成人しやがて老いて死に再び生にもどるイメージを表してます。

生死は繰り返されるという考え方に賛同します。人が生きる意味を凝縮した文字をどうして思いつかれたのか不思議です。

但し一回一回の人生は一度きりです。だからこそ今を必死で生きる必要があります。生まれてきた人の責務です。

でも孤独ではありません。天上で今は亡き人たちが応援していることも忘れてはなりません。身勝手はだめです。

「がんばれ~、勇気を出せ~、」とエールを送り続けているはずです。その声を受け止めて完成した作品だと思いました。