日中経済協力の新展開は、結局、アメリカ次第。
3日東京・大手町の経団連国際会議場で「中国改革開放40周年と日中経済・貿易協力」についてシンポジウムがありました。
神奈川県日中友好協会の理事として参加しました。288席の会議場はほぼ埋まってました。
会議の雰囲気は、最近の日中関係、とりわけ経済分野での関係改善を如実に示していると思いました。
まず程永華中国大使が開会のあいさつをしました。日中間の急激な変化の歴史を振り返ってました。
中国を改革開放へと導いた鄧小平氏が40年前訪日した時から中国の経済規模は248倍になったということです。
この間に7億4600万人が貧困状態から脱することができたと成果を強調していました。
程大使の話は実感を持って聞くことができます。1981年新婚旅行で訪れた中国は貧しかったです。
ところが昨今訪中した際に目に飛び込んでくる中国の姿は同じ国だとはとても同じ国には見えません。
日本側を代表しての基調講演者は、福田康夫元総理でした。信頼の大切さを述べていました。
日本と中国、率直に意見交換ができる関係になるべきで、そのためには信頼がなければならないということです。
中国側の基調講演者は李肇星(りちょうせい)元中国外交部長で世界経済における保護主義、一国主義の台頭にも触れました。
この後12人の政府関係者、民間文化関係者、経済関係者が登壇して現状報告をするという形で進みました。
田中角栄総理とともに日中国交正常化を成し遂げた大平正芳元総理の孫にあたる渡辺満子さんの発言が耳に残りました。
渡辺さんは、河野太郎外務大臣と中学の同級生で元日本テレビのディレクター。現在は日中映画祭の実行委員です。
祖父に当たる大平元総理から大変に可愛がられたということで祖父が残した言葉を語ってました。
日中戦争のただなか日本大蔵省の役人として旧満州国で勤務したことのある大平元首相の実質的な仕事について述べてました。
軍費調達のためのアヘンの管理だったということです。日中関係の暗黒の歴史に関わっていたわけです。
戦後大平元総理が日中国交正常化、日中友好に政治生命をかけて取り組んだのはこうした行為への贖罪があったのだと思いました。
日本と中国の経済は両国の協調関係の流れの中で大きく飛躍する可能性を持っていることをひしひしと感じました。
日本と中国が協力し合って第三国の基盤整備に積極的に関わっていこうという方向性が明確に打ち出されてました。
中国の資本力と日本のきめ細かな技術力が結び発展途上国の経済発展に貢献しつつ日中両国のメリットも確保するということです。
この発想の背景には中国が打ち上げている海と陸のふたつのシルクロードを再構築しようという「一帯一路」戦略があります。
しかしこの方向で進めるかどうか日本には選択の自由はありません。残念ながらアメリカ次第だと思います。
米中の経済対立が深まれば日中経済協力路線は直ちに困難にぶち当たります。アメリカに逆らえないからです。
日中関係は、アメリカの意向に左右されるという脆弱性の上に成り立っている現実を見失ってはなりません。