「西郷(せご)どん」放送終了に思う。

NHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」が昨日で放送終了。とうとう最後までテレビ見ないまま終わってしまいました。

西郷隆盛は、私利私欲なき偉人として私の心をわしづかみにしています。ドラマに関心がないわけがありません。

今年初め頃は、年内いっぱい大河ドラマを楽しめるとワクワクしていましたが、結果は違ってしまいました。

最初の方の放送でちらりと見たときの印象が影響しました。薩摩弁で言葉もよくわからないし距離ができてしまいました。

それと私の興味関心が政治家となって維新を回転させる人物としての西郷であって生い立ちの方には行かなかったのもあります。

政治家西郷の大仕事中の大仕事に勝海舟との間で仕切った江戸城無血開城があります。話し合いで城を明け渡した歴史の転換点です。

第37話、10月28日放送でした。この時もちょっと見ただけで途中でやめてしまい最後まで視ませんでした。

ところが見落とした場面にアッと驚くシーンが放送されていたのを年末になって知りました。あとの祭りです。

大日本報徳社発行の機関誌、『報徳』の巻頭で鷲山泰彦社長が「西郷どん」の第37話について書いているのです。

なんと37話では二宮尊徳の話が出ていたのです。しかも重要な一こまとして。思ってもいませんでした。

二宮尊徳は、私たちの郷土の偉人で小学校一年生の遠足では二宮尊徳の生家を訪れることでした。

尊徳というより薪を背負って本を読む金次郎少年が一般的ですが大人になってからの活躍は歴史に残ってます。

調べれば調べるほど農村を再興する実践的な哲学と手法の見事さに圧倒されます。現代に間違いなく通用します。

西郷隆盛と並んで私が尊敬して止まない偉大な人物です。2人が大河ドラマで結びついたというのです。

西郷隆盛は、1828年生まれ。二宮尊徳は。1787年です。同時期に活躍したのではありません。

西郷隆盛が二宮尊徳の農村再興の手法に深い関心を持ったのです。二宮尊徳の高弟が西郷に尊徳の手法を伝えたのです。

大河ドラマでは、江戸城で蔵書として保管されている貴重な書物の中から西郷は二宮尊徳の書を見つけました。

夢中になって読み始め、そのうち西郷は書を胸に置いたまま大の字になって熟睡してしまいました。

大河ドラマの歴史考証を担当している売れっ子歴史家の磯田道史さんが新潮新書の『素顔の西郷隆盛』で触れてます。

西郷は、二宮尊徳の書を刊行して天下に広めたいと希望し無血開城交渉の相手方の勝海舟がその書を貸したというのです。

その書とは、農業関係の書と思われますが二宮尊徳自身は自ら執筆した農業関係の書はありませんので書名は不明です。

西郷が二宮尊徳の偉業を高く評価し明治新政府の農村政策として展開しようとしたことは間違いないところです。

西郷隆盛と二宮尊徳、両者の共通点は、自らを厳しく律し各自の天命を果たすべく実践したところにあると私は思います。

大河ドラマのシーンを見ることはできませんでしたが西郷と尊徳の深い結びつきを確認できたのは良かったです。

 

 

 

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