私の2018年 その4 神奈川県開成町政の危機
今年は、年明け早々から開成町の府川裕一町政に対し激しく問いただすブログから1年が始まりました。
2015年4月の町長選挙では府川町長支援者を引っ張る存在だったのにとの批判が浴びせられました。
反発は予想していました。しかし人を介して聞こえてくる批判は予想以上でした。意外感からだと思います。
隣町である松田町の本山町長が、3月の府川町長の後援会総会で「裏切り者がいるらしい」と私を非難するまでになりました。
私の地元自治会の府川町長の後援会の幹部の方は私に対し「どのつら下げて歩いているんだ。」とば声をかけました。
私のブログが反響を呼んだことのあかしだと思いました。問題提起として大きな効果があったと受け止めています。
どんな批判を投げつけられても府川町政に終止符を打たなければならないとの信念はいささかも揺らぎませんでした。
逆に前町長として府川町政の2期目の選挙に大きな役割を果たした者の責務であるといっそう意思を固めました。
人口が伸び勢いがあるのだから全てはうまくいっているのだという幻想を振りまくことに我慢がならないのです。
しかも今日の開成町の発展の基礎を作った開成町の都市計画には全く関与せず、その成果だけを受け取っています。
おいしいところだけをいただいてさも自分が行っているまちづくりは素晴らしいと言い放たれては立つ瀬はありません。
開成町の真実は、そんなにバラ色ではありません。周辺市町は全て人口減に苦しんでいます。
県で一番小さな町がいくら頑張っても限界があります。勢いがある今こそ周辺市町と将来の発展戦略を描かなければなりません。
その最も大切な時に府川町長は、実質的に町政を担ってきた小澤均副町長を3月末に突如解任しました。
小澤副町長は私が抜擢したまさに盟友中の盟友でした。彼がいなければ今日の開成町政はあり得ません。
功績のある人物を後ろから切り付けるかのように解任するのは許せないと怒りがこみ上げ今も底流で渦巻いてます。
府川町政は必ずタガが緩むとみてました。案の定そうなっています。不祥事があってもそれを隠ぺいしてます。
先月幹部職員を停職にするほどの不祥事が発生しても府川町長は事案の公開を差し止めたということです。
情報公開の時代にありえません。来年4月の町長選挙を意識して頬かむりをしたと言われても仕方ない行動です。
もしプライバシーに配慮しなければならなににしても発表のやりようはいくらでもあります。
更に不可思議なのは、議会に対しては先月説明があったというのです。そのままにしておく議会の姿勢も大いに疑問です。
小澤副町長がそのまま在職していれば絶対にありえなかった措置です。ゆるんでいるのです。組織は頭から腐ります。
停職の処分を受けた幹部職員は、町民全体に奉仕する立場の公務員です。府川町長は、町民に対し公開し陳謝するのが本来です。
新年の町政は、1月5日の賀詞交歓会から始まります。その席で府川町長が不祥事に対しどのような説明をするのか注視します。