私の平成史1~NHK退職~

今年で平成の時代も終わりを迎えます。30年間、私も色々なことがあり過ぎるほどありました。

平成時代が終了するのを機に折に触れて振り返ってみます。少しでも参考になるところがあれば幸いです。

私の平成に入って最初で最大の事件はNHKを退職したことです。今でも本当のところはなぜだったかと思うことがあります。

小学校6年生の卒業文集でジャーナリストに入ることを夢見ていると書いたほどあこがれの職場でした。

その夢がかなってせっかく入った会社なのに辞めてしまったのは何かに突き動かされてというしかありません。

政治記者で華々しい現場を渡り歩いていました。大物政治家の後について肩で風切っていました。

一方、心に隙間風が吹いていたことも間違いありません。こんなことをしていて良いのかと後ろめたさもありました。

夜討ち朝駆けといわれる総長と深夜の取材でほとんど家庭にはいませんでした。超長時間勤務でした。

昼間時間があるときは取材現場である国会の片隅にあるソファーで寝転がり仮眠をとるひどい生活でした。

1990年9月には当時の自民党の最高実力者の金丸信さんに同行して北朝鮮を訪問することができました。

この時は、北朝鮮の金日成主席から日本側に国交正常化提案があり、そのビックニュースをスクープしました。

梶山静六さんや野中広務さんという一世を風靡した政界の実力者から親しく指導を受けることもできました。

結構活躍してました。でも物足りなさは日に日に増して精神的に落ち込みスランプ状態でした。

そんな時に1995年8月、平成5年のことです。政治部から広島放送局に転勤の内示がありました。

このチャンスを逸してはNHKを辞めることはできないと思い詰めて政治部長に辞表を提出しました。

あとのことは考えずに衝動的にです。異動の内示がぐずぐずした気持ちを吹っ切らせるきっかけとなりました。

37歳の時でした。ひとり息子は小学5年生だったと思います。妻はあっけにとられていて上手く反応できない様子でした。

何かに動かされていました。そのように行動するよう生まれる前から決めてあったかのようでした。

事前に十二分に準備をしてシナリオを立てて人生の転機を切り拓いていく方もいられますが私は全く異なります。

良く言えば即断即決、悪く言えば行き当たりばったりです。今のままではいけないという思いだけで動いてしまいました。

どちらが良いかと言えば前者の方が安全です。後者の方は、辞めた後、生きていくこと自体がいきなり試練となってしまいます。

NHKを辞めて肩の荷が下りたような爽快感は今でも覚えています。鳥のように空中を飛ぶことができそうな気分でした。

しかし、うきうきした気分が長続きしません。将来不安が頭をよぎりだすと身体がぐっと重くなります。

身分不安定な時期を過ごし、恐怖心が判断を誤らせ悪さをすることがよくわかりました。

人生にとっていちばんの課題は、怖れのない心の常態をいかに保つかといっても良いと思うようになりました。