私の平成史8~「情念」について~

1998年2月の開成町長選挙、終わってみればダブルスコアに近い勝利でしたが道のりは平たんではありませんでした。

なぜこうした苦境を乗り越えられたのか、その根本原因を探ってみると「情念」というふた文字に集約されます。

情熱というと私利私欲が全くない感じがして美しすぎます。もっとドロドロした感情がこもってます。

「情念」という言葉がぴたりとはまります。開成町を担うのは自分しかないというギラギラした気負いがありました。

政策は大ぶろしきを広げ打ち上げてました。自分以外にやってのける人材はいないと思い込んでました。

良く言えば確信ですが根拠なんてありません。やれそうだという直感とやってみせるという自分に対する過剰な自信です。

とても情熱のひとことでは片づけられない諸々の感情を包み込んだものが「情念」だと言って良いと思います。

この感情の伝播力は強烈です。幸いにして私は伝える道具を持っていました。弁舌力です。

衆議院選挙を通じて失敗もしましたが磨きもかけてきました。火を噴くように「情念」をぶつけることができました。

地元自治会、同級生、支援者たちが身内の会合で私の熱すぎる言葉を耳にして喚起されミニ集会への参加者を募りました。

集会の参加者が私の炎の言葉を聞いて衝撃を受けて更にその熱気を周辺に伝えて行きました。

小さな町だからこそできる選挙戦術ですが強烈な効果を発揮したことは結果を見れば明らかです。

選挙を盛り上げる効果もありました。投票率は、77.39パーセントでした。前回を24.03パーセント上回りました。

前回選挙は、現職の方が圧倒的に有利と言われる中での選挙だったとはいえ驚異的な上昇です。

理屈ではなく「情念」が政治を動かすという政治の実態を最初に体験できたことは大変貴重でした。

政策なんて必要ないと言っているのではありません。政策は重要です。それでも実際に票を動かすのは「情念」です。

「情念」を軽く見て「政策本位」などといっても実際の選挙選にはたいして役に立ちません。

「情念」のうねりがあってその上に「政策」が花開いた時に選挙運動は驚異の盛り上がりを見せます。

昨年9月の沖縄県知事選挙がより大きな規模で生じた格好の事例です。玉城デニー知事は「情念」で誕生しました。

前知事の翁長雄志さんの急死によって当時の玉城候補は翁長さんの「情念」を受け継ぐヒーローになりました。

当初、自民党などが推す候補の先行が伝えられていた選挙情勢は一変したのです。「情念」パワーがさく裂したのです。

その前年の10月の衆議院選挙で立憲民主党が50議席を超える議席を獲得できたのも同様の現象です。

希望の党を率いていた小池百合子都知事が排除の論理で切って捨てた候補者たちがヒーローとなりました。

切られた者たちが作った政党が、有権者の判官びいきという「情念」の受け皿となりました。

「情念」は、断じてバカにできません。これは体験的真実です。特にこれから政治を志す皆さんに胸に刻んで欲しいです。