地方政治家と新駅誘致

昨日、静岡県裾野市富岡地域の区長会の皆さん7人が開成駅誘致の経緯と周辺開発の状況視察に来られ、対応しました。

知人の元裾野市議会議員のかたより依頼がありました。裾野市でもJR御殿場線新駅を求める動きがあるとのことでした。

皆さんに小田急線開成駅前で最初に話したのは「1998年2月町長に就任した時、周辺は野原だった。」ということです。

開成駅の開業は、1985年3月です。13年間、駅舎だけがぽつんと建っている状態が続いていたのです。

一方、歴史をさかのぼれば、私の父親が町長に就任した1963年2月、最大の懸案は小田急線新駅の誘致でした。

その課題が実現するのに22年の歳月が必要だったのです。父は、その前年に町長を辞し、翌年急死しました。

新駅の誘致は1人の地方政治家の全ての政治生命だけでなく肉体的生命をも賭して取り組む課題だということです。

駅だけできても周辺の開発にはなお時間がかかったということです。駅周辺のマンション工事は2002年1月からです。

(小田急線開成駅 ウィキペディア)

駅周辺開発、駅からほど近い地域の27ヘクタールの開発事業がほぼ形が見えたのは私が町長を辞めた2011年でした。

私が町長を務めていた13年間の全ての期間は一連の開発事業とともにあったといって良いです。

父は、新駅誘致に政治生命をかけ、息子の私は、新駅を核とする地域一帯の開発事業に政治生命をかけたのです。

2人で合わせて33年です。親子2代で町の発展に決定的に関わる仕事をさせていただいたことは幸せの極みです。

裾野市富岡地域区長会の皆さんには、町の開発の歴史を説明し、政治生命をかける課題だと強調しました。

住民の皆さんが新駅を願い活動されるのは大いに歓迎すべきことです。しかし、そうした活動だけでは実現は難しいです。

トップが政治生命をかけて断じて実行するという決心がなければ実は一歩も進まないのです。

調査したりする途中経過は、あくまでも途中経過で、最終的には、トップが、やるかやらないかにかかっています。

他の誘致事例を学んだりしているとそのこと自体が価値あることだとついつい思いがちです。

しかし、そうした行動は、最終的に実現しなければ、無意味とまではいいませんが、徒労に終わってしまいます。

このことは勘違いしてはならない重要な点です。実現することにピタリと照準を合わせなければなりません。

裾野市富岡地域の区長会の皆さんには、地元の帰った後、本気で新駅誘致を望むのならば市長と直談判すべきだと提案しました。

トップの決心もなくて調査活動や話し合いだけを続けるのは、時間の無駄になりかねません。

トップが断じてやり抜くと決心した時から全ては実質的に動き出します。トップの決心がすべてに優先します。

決心したといっても開成町の事例に見られるように実現には長い時間がかかってしまうのが常です。

トップは、それでも耐えてやり切る覚悟を持たなければなりません。実現したいなら政治生命をかけるしかないのです。