空海と二宮尊徳をつなぐ。

時折、なぜこの人とこの場で出会うのか不思議でならないことがあります。偶然なのか、それとも天の配慮なのか。

昨日、大学に行くのに、普段は、小田急線の快速急行に乗って代々木上原まで行き千代田線に乗り換えます。

昨日は、時間の折り合いが悪く急行電車でいちばん後ろの車両に乗りました。疲れていたのですぐに眠ってしまいました。

はっと目が覚めると新百合ヶ丘でした。前の座席に座っている高齢の男性かがこちらをじっと見ていました。

私が「あっ!飯沼さん。」と声をかけました。知人の元朝日新聞の科学記者の飯沼和正さんでした。

飯沼さんが私の座席の方に移りしばしの間、話し込む時間ができ、貴重なアドバイスをもらいました。

飯沼さんは、自然エネルギーの活用について精通されている方で小水力発電の目覚ましい進化について教えてくれました。

小水力発電の発電措置自体の効率化もありますが、発電した電気をためる技術の進化が大きいということでした。

両者を組み合わせることで飛躍的に発電効率を向上できると熱心に解説してくれました。

私の住む足柄地域は、日本有数の急流河川の酒匂川が流れていて、本流から水を取り入れる水路が張り巡らされています。

小水力発電に極めて相性の良い地域です。南足柄市内では独自に挑戦している民間グループもあります。

ぜひ一度、じっくりと話を聞かせて欲しいということになりました。話が一気に広がりそうでわくわくしました。

話題はこれで終わりませんでした。私がどこに何をしに行かれるのですかと聞きました。

「死ぬ準備に行く。」と答えられましたので、驚いていると、にやりと笑いながら本当のことだよと畳みかけられました。

飯沼さんはキリスト教徒で86歳、体調も悪いので、万が一の時に始末をつけてくれる友人に頼みごとをするとのことでした。

現在のキリスト教の教会と信者たちの状況は、実践がないのが課題となっているとの話でした。

私が、明治期のキリスト教改革者の内村鑑三みたいな人が出ないといけないですねと応じました。

そうしたらなんとこれから会う人は内村鑑三の孫弟子にあたる方だということでまたもや話が盛り上がりました。

さらに飯沼さんは、平安時代に中国に渡り日本にもどって真言宗を興した空海が語っていたというある言葉を教えてくれました。

「祈りなき行動は妄動なり 行動なき祈りは妄想なり」。京都のシンボル五重塔の東寺の案内板にかかれているとのことでした。

弘法大師・空海の根本思想は、祈ることと実践は一体であるべきだというところにあったのです。

衝撃を受けました。二宮尊徳に関心を持っているひとならば全員が私と同じような驚きを覚えたことでしょう。

二宮尊徳の考え方は、道徳と経済は一体であるべきだというものでした。空海とそっくりな教えがあります。

「経済なき道徳はたわごとであり、道徳なき経済は犯罪である」という言葉に表されています。

飯沼さんとは、二宮尊徳の話題までする時間はありませんでした。次に会う時の楽しみにとっておきます。

 

 

 

 

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