映画「東京裁判」を観る。

講談社の70周年記念事業として1983年に公開された映画「東京裁判」のデジタル版が完成し東京で試写会が行われました。

22日の午後3時より始まり途中休憩をはさんで終了したのは午後8時前でした。5時間の長丁場でした。

この映画は、「人間の条件」をはじめ戦争と人間を追求し続けた小林正樹監督の作品です。

監督を補佐し、監督とともに脚本を手掛けたのが小笠原清さん、小田原の報徳博物館の館長です。小笠原さんから誘われました。

期待に違わぬ作品でした。日本の中国大陸への侵略から敗戦後まで映像を見ながら日本が歩んだ歴史を見つめ直せたからです。

東京裁判は、アメリカを始め戦勝国が日本が平和を犯したとの視点から戦争責任を問うたものです。

A級と呼ばれる28人の戦犯たちの裁判は、1946年5月3日に東京市ヶ谷の旧陸軍士官学校で開廷されました。

判決が下ったのは1948年11月11月12日で東条英機元総理大臣ら7人が絞首刑となりました。

映画は、アメリカの国防省の膨大な裁判の記録フィルムの中から選び出した映像とニュースなどの映像を交互に見せる手法です。

無駄を徹底的に省いたナレーションがかぶさります。語り手は、俳優の佐藤慶さんでした。

日本という国が、中国大陸での戦争の泥沼にはまり国際情勢に翻弄され進路を誤っていく経緯がよく理解できます。

歴史教科書で有名な山川出版の「もう一度読む日本史」のアジア・太平洋戦争の部分を取り出し精読した気分になれます。

アメリカは、日本の戦後の占領統治を円滑に進めるために昭和天皇を利用しようと考えました。

東京裁判において昭和天皇の戦争責任が問われる事態に陥るのは困るわけで、裁判において必死の裏工作をしました。

オーストラリア人のウェッブ裁判長は、裁判において昭和天皇を裁こうとする意見でしたので駆け引きがありました。

東条英機元首相へのアメリカの証言をめぐる工作が成功し、結果として昭和天皇の戦争責任は回避されました。

戦争期において絶対の元首であった昭和天皇の戦争責任は、あいまいのまま歴史の中に消えることとなりました。

映画では、日本の中国大陸侵略の決定打となった1931年の満州事変や1937年の南京での虐殺事件も追いかけています。

戦前は歴史の闇の中にあったこうした歴史的事実が裁判の過程で公開されていったことは国民に衝撃を与えたと思います。

私が映画から目からうろこの印象を持ったのは戦犯の弁護人の多くは勝者の側から選ばれていたということでした。

しかし弁護人たちは戦犯容疑者となった人たちの弁護のために懸命に論理を駆使して反論していました。

法というルールのもとに正々堂々と議論しあって正邪を決定する欧米社会のルールが貫徹していると感じました。

4時間37分という長編の記録映画、平成が終わり新たな時代を迎える今こそ多くの国民が見るべき作品です。

どのような時代を創造していくかを考える前に忘れてはならない歴史を見つめ直すことが不可欠だからです。