私の平成史9~スタートダッシュ~
1998年2月25日より開成町長の第1歩が始まりました。走ろうと心に決めていました。
自分の独自色を最初から打ち出して、スタイルの違いを大いに打ち出そうと気負っていたように思います。
良かったところと、前のめり過ぎたところと功罪両面ありますが、プラスの側面の方が大きかったと自分では思います。
「鉄は熱いうちに打て」ではありませんが、熱気や興奮が残っている時でないとやれないことがたくさんあります。
最初はそろりと慎重に歩み出してというのが一般的です。私はその逆をあえて進みました。
「今度の町長はただものではないぞ」という印象を与えたいと思っていたというのが本音です。
町職員や町民が最初にどのような印象を持つかは、その後の町政に影響を与えると考えました。
町長に就任して翌月の3月、町議会がありました。新年度の予算を審議する重要議会です。
ちょっと冒険をしました。施政方針は、予算の数字がたくさん並んでいるので紙を読み上げるしかありません。
その他の答弁は、よほどのことがない限り一切紙を読みませんでした。自分の言葉で臨機応変に答えたのです。
ベテランの議員さんや傍聴の方は驚いたと思います。議会のやり取りは、紙を読むとの思い込みを打ち破りました。
就任早々に放生園や幼稚園、小中学校の卒業式、自治会をはじめ各種団体の総会など行事が目白押しです。
私の独自性を町民に一気に広げるチャンスです。最初の大きな舞台が、中学校の卒業式でした。
教職員、来賓のほかに保護者も詰めかけ体育館は超満員です。新しい町長ですので、あいさつは、注目されます。
議会と同じように全く紙を持たずに壇上に上がりました。自分の言葉で卒業生たちに熱く語りかけました。
「失敗を恐れずに挑戦して欲しい!」。生徒たちは目をらんらんと輝かして話を聞いてくれました。
インパクトは、大きかったです。反響は予想を超えていました。新町政への注目度は上がりました。
町長になった年度に町内全ての12自治会で対話集会を開催しました。短期集中で実施しました。
この場でも、職員が用意した原稿を読むようなことは一切せずに自分の言葉で情熱込めて語りかけました。
町長という職責を持っていますので、弁舌は、単に弁舌ではなく、重さを持ちます。そこを最大限活かしたのです。
注目を集めたのちは、大胆な取り組みをすることに工夫を凝らそうと知恵を絞りました。実践へと向かいました。
私がなぜ最初から大胆な行動をとろうと心がけたのか、実はガイドブックがあり、それを参考にして動いたのです。
イタリアのルネッサンス期に活躍した外交官にマキアベリという人がいて『君主論』という有名な本を書いてます。
常に大胆で偉大だと思わせる行動をとることによって、求心力高めることが統治に役立つと書かれていました。
時代が異なりますのでそっくりそのままという訳にはいきませんが、応用しようと考えたのです。
スタートダッシュの時点から違いを印象付けることによって一気に求心力を上げようとしたのです。