私の平成⑩~出過ぎた杭~
マキアベリの『君主論』の第21章、名声を高めるためには「偉大な事業を起こしてみずからを類まれな模範として示す」こと。
私が町長としてスタートダッシュをかけるに当たり、基本となる心構えを与えてくれた一文といっても良いです。
最初だから失敗は許されるのです。このチャンスに手をこまねいていてはもったいないです。
首長としての経験が浅い人やこれから首長を目指す方に参考にして頂きたいと思います。
出る杭は打たれると言われますが、出過ぎてしまえば打たれにくいです。そこまで行くのが踏ん張りどころです。
『君主論』の最終章の前の25章には、どうすれば運命の女神を組み伏せることができるかも書かれています。
「慎重であるより果敢である方がまだよい。」と。慎重さより大胆さがなければ運命は切り拓けないと言ってます。
町長1期目の私の挑戦する姿勢は、町民を喚起し、年齢が若すぎるのではないかという懸念の声を消していきました。
町民からの求心力が高まることによってより大胆な挑戦が可能となってきます。好循環です。
私は、大学から下宿して外に出てしまったので開成町内のくわしい事情にはうといところがあるのが弱点です。
逆にNHK記者として外を飛び回っていたので町外、特に中央の動きについては詳しいです。その強みを活かしました。
町外へ積極的に飛び出しました。開成町の一枚看板であった「あじさい祭り」のセールスに乗り出しました。
田園のあぜ道に咲き誇る5000株のあじさいは、開成町のシンボルでした。これしか売りはありませんでした。
だったらこの一点に絞り込んで全面展開しようとしました。もっとメジャーな祭りにしようとしたのです。
いきなり全国区のNHK本部に出向いてあじさい祭りの紹介を要請しました。かつての上司に頼み込んだのです。
当時の報道局長は政治部出身で現役時代はかなり対立していた方ですが、そんなことはお構いなしに攻めました。
NHKも出身者だからえこひいきするわけにはいきません。きちんとした理由がなければ取り上げることはできません。
美しい田園空間の中のあじさいが決め手でした。開成町にしかない景観なのです。「しかない」がとても大切です。
私の父が町長だった時に田んぼの形を整える「ほ場整備事業」と呼ばれる田園開発を行いました。
その事業の後に町の花あじさいを選定し、17ヘクタールの水田のあぜ道に一斉に植えたことが功を奏したのです。
父の2代後の山神輝(あきら)町長は、徐々に有名になってきた田園のあじさいを広めようと祭りを始めました。
1988(昭和53)年のことでした。最初は数千人の祭りでしたが私が町長になった頃は十数万人まで伸びました。
これをもっと有名にして「開成町と言えば田園のあじさい」とイメージしてもらえるようにしたかったのです。
NHKの天気予報の際に紹介してもらうことができました。NHKで何度もあじさいの展示イベントを行いました。
前のめりになってほえているだけの私の町政でしたが、徐々に形となってきたのを実感しました。