私の平成史⑫~背伸び町政の効用と落とし穴~

私の開成町長の1期目は、明らかに少しでも存在を大きく見せようと背伸びをして走ってました。

典型的な取り組みが、町長就任の翌々年にありました。小さな町の消防団は全部で7つありました。

そのうち5消防分団で、小型の消防ポンプ車を更新する時期を迎えていました。事務局は順次替えると考えていました。

私は、いっぺんに全部更新という風に変えました。その方が派手で目立ちますし、消防団の士気も上がります。

なによりお金です。一括にして国から補助金を獲得したほうが結果的に有利となります。

確かまとめて3000万円ほどだったと記憶してます。とんとん拍子で話が進みました。

私は、ある策をあえて講じました。消防行政に強い影響力を持っていた大物政治家の梶山静六衆議院議員に助力を依頼しました。

町から県、県から国の担当者へと積み上げても良い話でしたが、大物政治家登場というシナリオを仕組みました。

担当部署は、大変に圧力を感じたことでしょう。特別なルートも持っていることを示したかったのです。

上手くいきましたが、反発もありました。町と国をつなぐ県の担当責任者を怒らせてしまいました。

この方は、自治省(現総務省)からの出向者でしたので面子を潰された格好になってしまったのです。

何事も段取りは、緻密に組み立てていき、特にそれぞれの立場を立てなければならないことを学びました。

もうひとつ背伸び町政の格好の実例があります。1999年に自転車利用のモデル都市の指定をとったことです。

当時県議会議員だった川上賢治さんより建設省(現国土交通省)が自転車のモデル都市を募集していると情報を得ました。

開成町は、小さくてもすべて平坦。しかも売り出し中のあじさいの里もあります。自転車にピタリとはまるとひらめきました。

河川敷には県が整備したサイクリングコースもありますので、あじさいの田園や河川敷を走り抜けることができます。

建設省に対しコネを使ったわけではなくこちらは職員のチームを作り王道でモデル都市選定を取りに行きました。

県から出向していた職員と後に副町長に抜擢することになる小澤均さんが中心となってプランをまとめました。

プレゼンテーションは、私自身が行いました。高く評価されて全国14の都市のひとつに選ばれました。

中堅・若手を中心にチームを作り新しい事業に挑戦するという私の仕事の進め方がこれで確立したといえます。

しかし、こちらも落とし穴がありました。当初、10数億円の事業費を確保して自転車道の整備を一気に進めようと目論みました。

具体には、自転車が通行できるように歩道を拡幅する事業に特別の補助金を得ようというものです。

警察庁から横やりが入りました。歩道を自転車を通すのは危険だと事業個所が限定され予定の半分も行きませんでした。

それでも幹線道路沿いの歩道の拡幅と、商店街の中の交差点に歩道と正規の信号を付ける改良工事を行うことができました。

役所としての警察の力の強さを知りました。道路整備も常に警察を意識しないといけないことを学びました。