私の平成史⑬~挫折と奮起~
町長1期目、自分では怒とうの前進と思ってました。しかし2年5か月で大きくつまづきました。
2000年、ミレニアムの年は、踏んだり蹴ったりの一年で、再起に向けて転換期となった年でもありました。
4月、宮城県田尻町(現大崎市)へ出張しました。パークゴルフというグランドゴルフの大会を視察するためでした。
前町長の山本久雄さんが手がけた開成町の河川敷のパークゴルフ場は富士山が見える場所の良さもあり人気を呼びました。
高齢者向けの手軽な健康づくりにちょうど良いスポーツです。時代の流れにあったのだと思います。
開成町に協会ができて会長の辻村昌平さんより桜がきれいな場所なので一緒に大会に行こうと誘われました。
気分をリフレッシュするにもちょうど良いと思い会員と一緒にバスに乗って田尻町へ向かいました。
田尻町長とお酒を存分に飲みながら懇談できました。町長から面白い話を聞きました。
オーストラリア産の天然のレンガを敷き詰めた施設を解体しなければならなくなり処分先に困っているとのことでした。
開成町で利用させてもらいますとのいう話にになりました。もちろん輸送費だけは開成町の負担です。
出張から帰り、100万程度の輸送費なので専決処分といって議会の承認を得ずに町長の権限で決済しました。
落ち着いて考えてレンガを保管してもらえば良かったのですが、当時の私は、思いあがっていて話が通ると思い込んでました。
6月に開かれた議会ですでに決裁したレンガの運搬賃の予算を町議会に諮りました。否決されました。
議会は、自分たちの意向を全く無視した独断専行だと猛反発したのです。かなり激しかったです。
議会の諸先輩たちは、若造町長が勝手にふるまって目立ってばかりいるということに内心、面白くなかったのでしょう。
叩くチャンス到来とばかりつつかれました。私は、戦うのを止めて平謝り路線をとりました。
明らかにこちらに落ち度があります。議会をこれ以上怒らせるよりも、話を収めるほうが良いと判断しました。
この事件をきっかけに議会の雰囲気は変わりました。押されっぱなしの議会側が反撃に出ました。
この年は、あじさいの花の出来も悪いうえ、6月の天気も不順であじさい祭りの人出が大幅に落ち込みました。
夏ごろから体調を崩し身体がだるくて調子が上がりませんでした。ついに10月、10日ほど入院しました。
原因は、明らかでした。お酒の飲み過ぎです。毎日浴びるほど飲んで過ごしていました。
好きですがそれほど強い方ではありません。酔っぱらって口論したり、だらしない姿を見せてしまってました。
このままではいけないと奮起しました。ミレニアムの年の誕生日11月6日を機に酒を止めました。
私の生活にとっては一大転換です。アル中状態といって良かったですので生活は一変しました。
早起きして、ごみ拾いしながら徒歩で10分程度の役場に6時ぐらいに入って、勉強することにしました。
1日の過ごし方が変わりました。会合は、1次会で済まし早めに帰宅するようになりました。