「足柄の歴史再発見クラブ」は、災害を中心に足元の歴史を見つめ直し子供たちに伝えて行こうという活動を続けています。

現在、必死で編集作業を行っている取り組みがあります。100ページを超える新たな冊子を編集中です。

2007年に刊行した『足柄歴史新聞 富士山と酒匂川』は、1707年の富士山の噴火から300年に節目に出しました。

富士山のふもと近くは、2メートルを超える砂が降り注ぎ、私たちの住む平野部でも30センチから60センチ積もりました。

私たちの地域は、平野の中央部を流れる酒匂川に噴火の砂が堆積して河床があがり何度も洪水を引き起こしました。

先人たちは必死の努力で立ち上がり復興しました。川の流れが元通りになるのに19年かかりました。

ふるさとが最も苦難の時期を迎えた歴史を忘れてはならないと思いを込めて冊子を作ったのです。

開成町の小学校や南足柄市、大井町の小学校の社会科の授業で活用されていて大変に好評です。

2010年9月8日、酒匂川の上流部で時間雨量100ミリを超える記録的な集中豪雨がありました。

山中に積もっていた富士山の噴火の際の黒い砂が大量に流れ出し、土砂崩れを引き起こしました。

中・下流部でも河川敷のスポーツ施設は、黒い砂の濁流に洗われて全て押し流されてしまいました。

富士山の噴火の被害は、現在でも収まっていないのです。いつ何時、牙をむくかわからないのです。

この事実をもう一度注意喚起しないといけないと思いました。クラブの仲間と一緒に1年前から作業を始めました。

昨年末から編集作業のピッチを上げてようやく形が整ってきました。もう少しで印刷に回せます。

前編と同じように子供たちにもわかりやすく内容とするため絵画や写真をふんだんに活用しました。

『足柄歴史新聞 富士山と酒匂川』では触れることができなかった明治以降、現在までの様々な災害を取り上げました。

たとえば、関東大震災。そして先ほど述べた2010年9月8日の集中豪雨とその後の取り組みについてです。

前編で触れた内容でも、「新編」の名前に相応しく、できる限り新しい見方から記述するよう努めました。

300年の富士山噴火の大洪水の後の治水工事は、江戸幕府8代将軍徳川吉宗による直轄工事でした。

工事を手掛けた田中丘隅(きゅうぐ)は、工事の終了後、祭りを行うよう村人たちに指示しました。

1727年から現在に至るまで続いている大口(おおくち)と岩流瀬(がらせ)のお祭りです。

村人が集まることによって災害の歴史を忘れないようにし、また土手を踏み固める手段にもしたと考えられます。

大正時代のはじめ以降は、河川敷で競馬も行われるようになりました。農耕に馬が活用されていたからです。

戦後、トラクターの時代になって馬がいなくなり競馬は廃止されましたがいち時期は大変な人気を博しました。

学校の校歌の中にも富士山や酒匂川が歌われていますのでいくつか集めて紹介しています。

面白くてとてもためになる冊子がもうすぐ完成です。子供たちに出前授業ができると思うとワクワクします。