私の平成史⑰~全町公園化から足柄平野のシンガポールへ~
神奈川県でいちばん面積が狭くて平らな町、開成町の町長に就いていちばん勉強になったことは都市計画の大切さです。
都市計画という専門用語を聞くと難しい話に聞こえてしまいますが、いたってシンプルです。
行き当たりばったりの開発を避けて、町全体を見渡し計画的に街並みを整備していきましょうということです。
日本は、住むことができる地域の面積が狭く、この種の計画的な街並み整備は、苦手です。
どこに行っても古い町並みはごちゃごちゃしているところが多いです。特に大都市部においてはそうです。
開成町は、水田が大半を占めている時代に都市計画を導入したまちづくりを開始しました。
1965年ですので半世紀以上も前のことです。町全体をすっぽりと都市計画区域に入れてしまいました。
規制をかけるということです。私の父親の露木甚造が町長1期目に断行した大仕事です。
当時の開成町広報を読み返してみると、より良い景観をつくるには規制が必要だとの考え方を明確に打ち出してます。
都市計画をまちづくりに採用するには人口1万人規模が最低必要とされていた時に6000人の町が取り入れたのです。
首長の先見性とリーダーシップ以外の何物でもありません。この決断がなければ今日の開成町はありません。
都市計画の土台となるのは土地利用計画です。土地を所有している住民にとって神経質になる部分です。
開成町の場合は、北部の水田を中心とする区域、中央部の住宅街と一部工場、南部の開発区域の3分割作戦をとりました。
水田地帯の整備から初めて開発区域は計画的に開発を進めるという手順をとり成功に導くことができました。
町全体が美しく整備された印象を与え、町のイメ―ジ向上に大きな効果を発揮したことは間違いありません。
私の前の町長の山本久雄さんは、こうしたまちづくりの成果を踏まえて「全町公園化」というスローガンを掲げました。
町全体をあたかも公園のように見立てて美しい町並みを整備していきましょうという考え方です。
今日においても極めて有効なまちづくりの見識だと思います。私はこのスローガンを踏まえて別の言い方をしました。
足柄平野におけるシンガポールのような町になると打ち出したのです。土台は、山本前町長の全町公園化です。
シンガポールを今日のアジア有数の富裕国にした建国の父、リー・クアンユー元首相は、美しい国づくりから始めました。
強権で街並みの整備を断行しました。都市計画の徹底です。シンガポール発展の礎になりました。
私は、シンガポールの姿を開成町に応用しようと考えたのです。計画的な土地利用を堅持し開発を考えました。
山本さんの全町公園化というまちづくりを受け継ぎ、その考え方をさらに進化させようといっても良いです。
このまちづくり手法は、開成町が代々受け継ぐ、いわばまちづくり遺伝子=DNAとなっていると思います。
開成町の都市計画重視のまちづくりは、日本のまちづくりの歴史の中でも稀有な事例で誇るべきだと思います。