神奈川県開成町長選挙「山神ゆたかの時代が始まる」と確信!

素晴らしい集会でした。満員御礼札止めと言って良いほどの盛況でした。これだけで半分成功したようなものです。

開成町長選挙に向けて1年前の2月11日に旗揚げした新人の山神裕さん、1年間の努力の結果が見事に現れました。

驚いたのは、あいさつの力強さが一気に増したことでした。闘志を内に秘めるタイプですので一変した感じでした。

座右の銘から入りました。「堅忍不抜(けんにんふばつ)」という難しいことばでした。

どんな試練にも耐え抜くという意味です。中学、高校、大学と野球一筋で来て就職先は名門日本長期信用銀行でした。

ところが入社10年でバブル経済の崩壊のあおりを受けて銀行が倒産し生活は暗転しました。

そこから外資系の銀行に入行し世界を学びながら金融マンとして厳しい世界を生き抜きました。

50歳の時に金融の世界だけで人生を終わることに物足りなさを感じ、まちづくりの世界に打って出ることを決意しました。

厳しい判断の連続でしたが、「堅忍不抜」の精神で耐え抜いたと力強く語っていました。

経歴紹介の場面では、東京六大学の立教大学戦でホームランを打った時の写真が大きく紹介されました。

明治大学の公共政策大学院では、まちづくりに関する様々な分野の知識を2年間学び、満を持して町長選挙に臨んでます。

途中、山神さんの父親の元町長、山神輝(あきら)さんの姿が映し出されました。父親に向けて山神さんが叫びました。

「おやじ!、決めたからには思い切ってやれと言ってくれるよな~」。「当たり前だ!」と答えているように見えました。

自らの打ち出す政策では、役場庁舎建設のために潰した町民プールを復活させると明言していました。

ただプールを造るのではなく対世代が交流できる施設として役場から近い地域に建設すると断言しました。

あと英語教育の充実を熱く訴えていました。外資系の銀行に勤めて英語の大切さを熟知しているからでしょう。

明治大学公共政策大学院の教授、慶応大学時代の野球仲間に続いて私は最期に挨拶の順番が回ってきました。

伝えたいことはただ一点でした。山神さんの決意表明を聴いて話すことを決めました。

「つゆき順一の時代は、完全に終わり、山神ゆたかの時代が始まる」ということをいきなり述べました。

ここ20年来、開成町のまちづくりといえば私の名前が必ず出ました。しかし、新たな担い手が誕生したと確信しました。

府川裕一町長は8年前、町長選挙への打診をした私に対し「ほかに人がいなければ仕方ない」と答えました。

有能極まりない人材が登場しました。譲るのが筋でしょう。どうしてもいやだというのならば選挙で勝負です。

52歳の山神さんの同級生をはじめとして現役バリバリの世代の皆さん50人ほどスタッフジャンパーを着て動き回ってました。

慶応大学野球部・応援団関係者の皆さんのパフォーマンスも盛り上がりました。山神さんのキラキラした経歴がまばゆかったです。

行政経験がないことは変化の時代においてチャンスです。開成町は再び躍動の時期を迎えようとしています。