私の平成史㉑~企業誘致2~

棚からぼたもちみたいに企業側から進出先として選ばれるのではなく自ら呼び込むためには相当の覚悟がいります。

覚悟を示すためには花火を打ち上げなければなりません。花火を上げることに伴って重い責任を背負うからです。

1期目から企業誘致をすると宣言していましたが、そうたやすいものではありません。進みませんでした。

私は、開成町として企業誘致場所に決まっていた南部地域の地権者の皆さんに公言していただけに反発は強かったです。

当然のことと受け止めました。実は、私1人でひそかに可能性を探りもがいていたのです。

具体の方針を示すにはある程度の目星を付けなくては「ほら」ではなく「うそつき」になってしまいます。

方向性が正しいのかどうかあたりを付けて回ったのです。前回ブログで紹介したように研究開発型の企業誘致を狙ってました。

地域に全く縁のない企業を誘致するように多少なりとも地域に関係がある企業の方が良いに決まってます。

となると目指すは富士フイルムの研究所誘致の一点突破ということになります。他の選択肢は考えませんでした。

富士フイルムは、お隣の南足柄市に本社工場があり、南足柄市は、豊富な法人税収を得て左うちわでした。

開成町の一般会計予算の総額に当たる40億円の南足柄市に入ったこともあるほどでした。

しかし、フイルム業界の絶対王者の富士フイルムもデジタル革命の波に現れていて変革期に入っていることも事実でした。

次なる主力製品を開発するためには研究開発投資が間違いなくあると読んで水面下で行動を始めました。

当時の富士フイルムの絶対権力者であった大西實会長や幹部の方々にそれとなく研究開発投資の意向を打診しました。

日本経済の時代の潮流は、研究開発への投資の流れにあることは間違いなく自信がありました。

しかし、富士フイルムが具体に研究開発投資を加速させるかどうかは全く未知数でした。

最初のころの反応は芳しくありませんでした。無理かなとの思いがよぎった時もありました。

大きく流れが変わりだしたのは1期目から2期目に移る2002年でした。富士フイルム側から反応があったのです。

研究所への投資を考えた場合にどのくらいの用地を用意できるのか、またその価格はどの程度かと私に打診がありました。

特に土地価格をできる限り下げて欲しいとの要望がありました。この時は、間違いなく脈があると小躍りしました。

土地を整備して売却する場合、開成町の場合、まだバブルの時の余韻が残っていて価格が高いのです。

誘致予定地の価格は、坪単価で17、8万円ぐらいが相場でした。10万円台の低いところを求めている感じでした。

トップとトップ同士の水面下の交渉です。町役場当局も中身には全く関与していませんでした。

大ごとになればなるほど決めることができる人同士が交渉して初めてやるかどうかが決まります。

担当者同士で積み上げてみても方向は決まりません。ならば最初からトップ同士が話したほうが手っ取り早いです。