私の平成史㉓~企業誘致4~

あてずっぽうで土地価格の引き下げを富士フイルムに打診したのではありません。確たる見通しを持ってました。

3ヘクタールの土地を一括して売却することになれば細切れに売却するより価格を下げることは可能となります。

地権者をひとりにすればよいことになります。1対1で富士フイルムと交渉すれば10万円で決着は十分つきます。

問題は、どこにその任務を背負ってもらえるかです。小田急電鉄以外にやれるところはありません。

開発事業を成功させるための一点張りで小田急電鉄にお願いし、全面協力を得ることができました。

企業誘致というと進出先の企業ばかりに目が行きがちですが、土地の売買にも民間企業の協力があれば力強いです。

小田急電鉄は、開発事業の中核企業でした。公共性を有する電鉄会社が仲間であったことは事業の成功を導きました。

首長は、公共性を持つ民間企業と常にコンタクトを持ち信頼関係を日ごろから築いておくことが大切です。

富士フィルムの進出予定地内に土地を持つ一般の地権者に小田急電鉄の所有する周辺の土地との交換をお願いしました。

一部、交換ではなく売却の方もいられましたが進出予定地内全て小田急電鉄の所有地としたうえで富士フイルムが購入できました。

大企業同士が1対1で決めて進めたのでスムーズに売却は進みました。戦術がピタリとはまりました。

一般の地権者がどうしてすぐに納得したのか疑問も思われるかもしれませんが、地権者にとって有利な土地だったからです。

小田急電鉄の用意した土地は開成駅に近い側にありました。より利便性が高く交換条件としては好ましいものでした。

業界用語ですが「縄延べ(なわのべ)」もありました。実際に測量してみると図面上の土地面積より広いことがままあります。

地権者は思っていた土地面積より実際は広いことがわかりボーナスをいただいた気分になります。

こうした機運の時期に一気呵成に土地交渉を進めました。担当職員チームの踏ん張りには頭が下がりました。

通常は土地交渉でもめて時間がかかります。小田急電鉄の協力と職員の奮闘で、その心配なく事業が進みました。

土地が固まれば、もう大丈夫だと自信を持ちました。これで富士フイルムの研究開発拠点の進出は決まったと思いました。

ところが思わぬ事態が富士フイルム内部で進行中でした。絶対的な存在だった大西實体制が崩壊したのです。

民間企業でたまに起きるいわば政変です。古森重隆社長が代表権を持ち大西体制を覆しました。

2003年の株主総会の前でした。ここから古森重隆氏の現在まで続く剛腕経営が始まりました。

土地の契約も済んでいるので白紙に戻されることはないとは思いましたが戦々恐々でした。

予想通りかなりの圧力がすぐにかかってきました。求められたのは事業推進のスピードです。

民間企業の剛腕経営者の圧力はすさまじかったです。今すぐにでも着工しろとの勢いでした。

急ぐには、開発の許認可権限を持っている神奈川県の了解が必要です。トップどおしの話し合いが事態を動かしました。