私の平成史㉔~企業誘致5~

研究所誘致の成否は、開発の許認可手続きを猛烈にスピードアップさせることができるかどうかにかかってました。

そのくらい新権力者の古森重隆社長の圧力は強かったです。開発用地の次はスピードを求められました。

行政のスピード感と民間業のスピード感は、全く異なります。とりわけグローバル経済で競争している超一流企業はそうです。

この点は、現在でもなお、行政として認識を改めなければならない重要ポイントだと思います。

民間企業に迎合し、開発を認めろと言っているのではなく、民間企業のスピード感を前提に対応すべきだということです。

小さな町ではこうした訓練は全くできていません。トップのがその気になって行動しないと付いていけません。

2003年の夏前から大きく事態は動きました。今度もトップとトップによる直談判が原動力でした。

2003年4月に神奈川県知事に就任した松沢成文知事に猛然とアタックしました。

松沢知事も新たな産業政策として研究開発型の企業の誘致を促進することの重要性を即座に認識していました。

県の後押しを得て企業誘致を促進する体制が整いました。巨大な図体の神奈川県もトップの方針が明確になると動きが速いです。

相手がどんなに巨大であってもトップはトップ、決してひるむことなくぶち当たることは極めて重要な要素です。

松沢知事との交渉は、富士フイルムにとってとてつもない贈り物となる件の新たな制度を生み出しました。

「インベスト神奈川」といって民間企業の研究開発型の投資に対し神奈川県が助成する仕組みができたのです。

2004年12月、その第1号として富士フイルムが認定されました。70億円近い助成額でした。

誘致活動を始めた当初は全く考えられないことでした。小さな町では優遇措置をとる余裕はありませんので大歓迎です。

神奈川県、富士フイルム、そして開成町、盤石の連携で研究所誘致事業が進められることにつながりました。

起工式は、2005年3月15日でした。ちょうど開成町ができて50年の節目の年でした。

開成町に対し天からの最上の贈り物のように思いました。開成町の躍進が約束されたと言って良いです。

もうひとつ驚きのプレゼントがありました。研究所用地の前に東西にまっすぐ延びる町道があります。

都市計画道路、和田河原・開成・大井線という名称で呼ばれていました。しかし、橋がなくつながってません。

富士フイルム研究所誘致の際に会社側からは東名高速につながるアクセスについても当然要望がありました。

私は、この機運に乗じて2003年の県知事と私たちの地域の首長との懇談会でこの問題を取り上げました。

事務当局は財政上の問題もあり当然慎重です。公開の席上で知事に直談判を仕掛けました。

当時の県土整備部長は、橋を架ける計画の順番をたてに私の主張を抑えようとしましたがしつこく攻めました。

最終的には松沢知事が最優先に取り組むと発言し一件落着となりました。ここから橋の建設も一気に加速しました。

 

 

 

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