二宮尊徳の報徳思想で読み解く現代政治

二宮尊徳の報徳思想を端的に表すものは、高弟の富田高慶(たかよし)の『報徳論』の中にあります。

「至誠」「勤労」「分度」「推譲」です。高い志を持って誠心誠意努めること。懸命に働くこと。

生活や行財政運営に厳しく節度を求めること。余剰が生じたら社会に還元し循環させること。

上記のように要約できます。この4つの指針で政治を捉える場合、ふたつに分けて考える必要があると思います。

「至誠」と「勤労」は、身を正す政治家としての規律という側面が強いと捉えています。

後者の「分度」「推譲」は、実際のあらゆる政治状況の中で貫くべき具体の政治指針と考えます。

政治家の徳を持って政治を治めるのを東洋では政治の理想としていました。二宮尊徳もこの考え方を受け継いでいます。

高い志を持って厳しく律し、懸命に働くことが最終的には国家を治め、天下を平和にすることにつながるという考え方です。

昨日のブログで紹介した神奈川県開成町長選挙に出馬する新人の山神裕さんも底流にはこうした考え方があると思います。

報酬を50パーセントも削ることにより厳しく自らをまず律することから政治を始めようということです。

さて、問題は、「分度」と「推譲」の方です。こちらは奥の深い意味があります。現代政治に最も欠けている部分です。

行財政運営という側面から捉えれば、歳出に厳しい制限をかけて、余剰を借金の返済や基金の積み立てに充てるということです。

決して珍しい考え方ではありません。しかし、「言うは易く行うは難し」の典型的な事例です。

できないのは政治家の決断がないことにあります。やるかやらないかの選択の問題だと思います。

「分度」と「推譲」という考え方には、行財政運営にとどまらないもう一段深い意味があると私は思います。

それは、政治一般に通用する普遍的な原則です。二宮尊徳は、4つの指針の最後、「推譲」を重視していました。

二宮尊徳の言行をまとめた弟子たちの書物には「譲ること」の大切さが頻繁に出てきます。

二宮尊徳は、「譲道(じょうどう)」、すなわち「譲ること」を最終的な政治の最も大切な価値と見ていたと思います。

こうした観点から現代政治を見てみると現代政治はいかに譲らないかを競うゲームとなってます。

どれだけ自分たちに利益を認めさせたのか、その多い少ないによって政治家の力量が決まる風潮がはびこってます。

国際政治にとどまらず国際政治の現場においては一層激しさが増します。し烈な譲らない競争があります。

私は、ここに現代政治の危機の源があると思えてなりません。「譲らない」競争を「譲る」競争に転じなければなりません。

「譲らない」競争をしている限り、妥協はあり得ません。仮にできてもガラス細工のような脆いものです。

相手に譲ることで、強固な信頼感を得て、その価値の方が一時の勝った負けたよりも大きいと捉えることができるかどうかです。

国内外を問わず、譲ることの芸術的な技を駆使できるリーダーは見当たりません。ここに現代政治の危機があります。